カテゴリー「エッセイ」の36件の記事

2008年10月 6日 (月)

還暦前の今の読書志向

 会社を早期退職で辞めて3年ぐらい経つ。その間、職につくこともなく、、毎日サンデーの日々を送ってきた。

 会社を辞めてすぐのときは、結構、新書本などの軽い本(新書本が全部軽いというわけではないが、読むのが遅い私でも1-3日で読み終わってしまう)をたくさん読んでいたようである(もともと小説はあまり読まない)が、最近では読む本の性質が変わってきたようである。

 その間に、団塊の世代に好まれるようにと「カラマーゾフの兄弟」が新訳されたが、団塊の世代ではなく、若い人(特に女性か?)に人気が出たようである。団塊世代の私は、20代の時に読んだカラマーゾフの兄弟を改めて読む気にならなかった。「魔の山」については以前読んだことがなかったので2年前に読んだことがある。しかし、それ以降は、小説の大作は読んでいない。

 そのように、ボツボツ、また、手当たり次第に、乱読しながら、時間つぶし的かなと思っていた。そういうときに、ある人が良寛さんについて書いた本の中に、若い時期、曹洞宗系のお寺で修行した良寛さんが、年取ってから、正法眼蔵の95巻本が江戸末期(後期)に初めて出たので、人から借りてむさぼり読んだ、ということが書いてあった。道元以来500年間埋もれていた部分があるということらしい。それをよんで、私も正法眼蔵に挑戦しようと思い立ったが、そもそも正法眼蔵を理解する素養が無いので現代語訳の全集を読んだ。それが、この春先である。

 しかし、全く理解出来てていなかったので、何を読んだか、後味が悪く、改めて別の全集(ちくま文庫)を今年の4-6月の間に苦しみながら読んだ。結果は、理解で来ているような出来ていないような、という感じ。もともと只管打座を主旨とする教えなので、書物では理解できないのであろうが、それにしても、厳しい状況であった。しかし、今までの長い人生で、こうした書物に親しむ時間もなかったことを思えば、貴重な時間を過ごすことが出来たもんだと思っている。

 その後は正法眼蔵で「古文」に我ながら親しんだせいか、カラマーゾフの兄弟ではなく、日本の昔話の方に興味が行き、今では、「今昔物語」を原文で(岩波文庫)で(注釈つきで)読んでいる。昔から今昔物語は受験勉強(「古文」)で出てきたりはしたが、内容については理解しているとはいいがたかった。こうして改めて読んでみると、文章にリズムを感ずるとともに、昔の人の生き方、生活、世の中の風潮などがいろいろ読み取れて面白いものである。ついついのめりこんでしまった。芥川龍之介を初め、多くの、小説家が、今昔物語を元に多数の小説を書いたのもうなずけるものと理解できる。

 今は、まだ、今昔物語を読んでいるところであるが、次は「平家物語」に挑戦する予定である。

 

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2007年8月29日 (水)

メジロ、スズメなどの飛来・乱舞-我が家の庭

 多くはないがわずかばかりの庭木が我が家の周りにある。長く暑かった天気が続いた後、このところ涼しくなってきた。とはいっても天気は悪く雨も多いのであるが。

 涼しくなってきたせいか、この2-3日、メジロ、スズメの大群(←かなり大げさ)が我が家の庭に飛来するようになった。たまにヒヨドリらしい姿も目撃できる。昨日も今日も昼ごはんが終わって一服しているときに御訪問である。スズメは警戒心が強いが、メジロは警戒がなさそうで、こちらが近くで観察していてもチュンチュンと言って遊んでいる。

 モクレン、カリン、ムクゲ、クチナシ、卯の花の庭木の辺りで遊んだ後、メジロの大群は、近くのモミジ、竹のあたりに移っていった。メジロは遊び放題である。小枝から小枝へ飛び移っていって、世界陸上(今大阪で開催中)でいえばさぞかし走り幅跳びにでもなるのかな。小枝がたわって楽しそうである。そこにスズメの大群が来たが、さすがスズメは重い。我々から見ると小さいスズメであるが、メジロのほうが小ぶりだ。スズメが14cm程度で、メジロが12cm程度とか、それ以上の違いを感じる体の動きだ。

 そのうち、メジロは小枝にぶら下がってはひっくり返ったりして、更に遊びの度合いが増していった。単に遊んでいるのか、餌を探しているのか定かではない。しかし、どう見ても食事時間とは感じなかった。

 この前2-3ヶ月間バードカービングでカワセミ、キセキレイ、ゴジュウカラ、スズメなどを作ってきた(参考記事「バードカービング5作目-ゴジュウカラの作製」)。しかし、どれもほとんど正座(??)した姿のものを作っていた(ゴジュウカラのみは少しだけ例外)。羽根を広げている姿とか飛んでいる姿とか、餌をとっている姿とかは作っていなかった。正座姿の鳥を作ってきてどこか面白くない感じもしていた。実際、ゴジュウカラ以降は製作ストップの状態である。かといって抽象的な鳥を作るのも変だ。そういうときにメジロのダンス・遊び姿を見た。バードカービングはこういうものを作らないといけないな、と感じた。しかし、メジロは良いが、スズメは飛んできても相変わらす正座姿で枝に留まり、正座姿で飛び立つ。それはそれで仕方ないが、メジロ以外に「芸」をやってくれると鳥はいるのかなと考えたとき、(無知なのであまり知らないが)残念ながらあまりいないのではと思ってしまう。

 しかし、こういう、メジロの飛来で、楽しい思いをしたのは確かである。メジロ、といえば年寄りには「霞網」を思い出す。どうして霞網を使うのかなと思っていたが、メジロは動作がかわいいから愛好者が多かったのであろう(今では、霞網禁止。捕るのも禁止らしい)。

 我が家に引越して2年少し。今までは、スズメはきても、メジロがこのように楽しんでいる姿は見たことがなかった。そういえば、今年は、庭木の葉っぱも一段と繁っていて、またなぜか、庭木にせよ、家庭菜園にせよ、また家自体に、「蜘蛛の巣」がとにかく多いのである。その蜘蛛の巣を追い払っても次の日にはしっかりと巣が張っている。ゴーヤの植わっているところにも蜘蛛の巣があって、収穫時には毎日蜘蛛の巣に捕らわれながら収穫したものである。蜘蛛の巣が多いということは虫も多いのであろう。そして、鳥もそれを狙ってきたのではないかなということも考えられる。

 2年前に引越してくる前はここまでは期待しなかった。期待以上である。そして、こういうかわいい鳥の姿を見たので、バードウォッチングでも始めようかなという気もふと出てくる。バードカービングの題材になればと思って。そういえばカルチャーセンターでもバードウォッチングの講座があるのでまた考えてみよう。

 

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2007年8月13日 (月)

疑問のある日本的スポーツマンシップ

 私はスポーツ音痴で、スポーツは出来ないし、スポーツのことは極く素人でしかない。

 このところ、高校野球の時期であるが、ほとんど見ない。しかし、ときどき、ニュース、ダイジェストなどで内容を知ることになる。そして、勝利チームの誰かの発言がテレビに載る。勝ったのは「全員野球の結果です」と。一方で敗戦チームの誰かの発言がある。「負けたのは私のせいです」。

 いや待てよ。勝ったほうも全員野球で勝ったのではなく誰かがすばらしい活躍をしたのは隠せない面もあるのではなかろうか。

 負けた方も、発言した人自身の問題(エラーその他)もあろうが、負けたからには、ほかの人も活躍が足らなかったのであろうよ。だから負けたのであろうよ。それを「負けたのは私のせいです」というのはいかがなものか。

 こういう歪んだ精神に子供のときから追いやっていく日本的スポーツマンシップは、もう1年すこしで還暦の私にとっては、若いときから理解に苦しんでいる。

 そういう日本的スポーツマンシップが理解できずに苦労して、病人扱いにされている若者がもう一人いる。あの横綱だ。日本人の私でも日本的スポーツマンシップは分からないのに、(もし横綱に正義感があるとすれば)彼にもわからないだろう。横綱の仮病的な行動はちゃんと説明する必要があろうが、彼にとって日本的スポーツマンシップが理解できるものではない、というのは理解できる(彼がそういったわけではなく、そういっているだろうとの推測)。そして、彼もそれとの葛藤を繰り返してきたのかもしれない(彼が、しゃべらないので正確なところはわからないが)。

 こういう日本的スポーツマンシップは、相撲、高校野球、などだけの現象であろうか。そうではないとおもう。日本の「会社」もその会社ごとのわけの分からない「×××スポーツマンシップ的」なものを設けていて、ちょうど、今回の相撲協会の理事長が「社長などの偉いさん」、親方が「役員、執行役員」に相当し、どこの会社でも似たようなことが行なわれているのではなかろうか。理事長は、人事、制裁についてやるだけやって知らん顔。説明責任その他は親方に任せる。出来のわるい親方が説明できず問題視される。そして、横綱は、自分は何の弁明をする機会を与えられず、制裁(会社では「人事異動」)を受ける。

 あの横綱みたいなものがでてくれば、その行動・発言が、理事長、親方の意に添わなければ「排除される」という姿が日本の社会では一般的ではなかろうか。たとえ、理事長、親方ば全く間違っていたとしても。今回の場合、強い横綱だから排除が困難なだけではなかろうか。たとえ、相撲協会が近代化したとしても、日本の社会が変だから、どういうことに横綱がなったとしても、また、繰り返し起こるような、「日本的マインド」ではなかろうか。

 鈴木大拙は「日本的霊性」という言葉を使って、日本の独特の精神構造を表現したということであるが、もし鈴木大拙が今生きていれば、こういう、日本的スポーツマンシップをどう表現するのであろうか。私の予想では、「日本的霊性」ということばと日本的スポーツマンシップとは別物、として逃げのではないかと思う。それほどまでに、いまだに日本的スポーツマンシップはいびつなもののままであるような気がする。日本中、会社から、政府から、学校から、すべてが狂っていて、それに横綱がひとりで立ち向かっているような気がする(考えてやっているのか、そうでないのか、彼がしゃべらないのでわからない)。こういう状況では鬱にならない方が正常ではない。そういう正常ではない世の中に日本はますます陥っている。そして、「美しい国へ」のごとく間違ったことを言って民意を無視する為政者がいるというのも、今回の横綱問題とどこが違うのか。変な精神構造の人を為政者(会社で言うと社長、相撲で言えば理事長)にしたものだと嘆かわしくなる。


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2006年12月31日 (日)

プレゼント応募に当る楽しみ

今年最後の書き込みです。 「プレゼント応募に当る楽しみ」というタイトルの新規文章を、私のHPサイトの「とんぼナックのエッセイ」に載せました。よろしかったら見てください(→ここをクリック)。以下、同じものを記載する。

 一年半ぐらい前に定年まで数年を残して早期退職し、今は"毎日がサンデー"の日々を送っている。時間があるせいか、気が向いたときなど、いろんなプレゼントの応募、懸賞の応募を行うことがある。定期購読の雑誌や折り込み新聞などを初め、ネット、メールマガジンなどいろんなものがある。

 どうせ当たりはしない、と当たらないことを当然のこととして、だめもとで応募することもたびたびある。したがって、いつが応募締切日で、いつが抽選日かは覚えていない。また、そういう気楽な応募のため、応募数も多くはない。手元には官製はがきも10枚も置いていない(民営化で「官」ではなくなり、「官製はがき」という単語も死語になるであろう)。

 この一年半の間、このように、どれに何を応募した記憶も定かでない状態であり、時々、宅急便屋さん、郵便屋さんが当選のプレゼントを配達してくれたときに応募していたことに改めて気づくという有様である。そういうことは小物のものも含めば何回かはある。退職するまでは仕事に没頭していたためか、こういう経験はしたことがなかった。在職中の数年前思い立って、一時期、朝日新聞のクイズの応募、文芸春秋のクロスワード・パズルなどの応募をそこそこやってみたが、梨の礫で、知らないうちに応募もしなくなっていた。しかし、この一年半は、なぜか、また当たった、また当たったということが続いた。1000円以上すると思われるものとしては、トロピカルフルーツ(マンゴー)、すき焼き用の和牛500g、子供用の実験キット(結構高そうなものである)、園芸用品(植物活力液)、お寺の拝観券(ペア)、などが当たっている。

 プレゼントの応募については、昔、応募魔の主婦があるテレビ番組に出ているのを見たことがあった。正確には覚えていないが、当たる秘訣を披露していたようである。その人のやり方は、応募はがきに、いろんなメッセージ、添え書きを書くのだったように覚えている。抽選する人にアピールするような文章を考えて、また、色もいくつか使ってかわいらしく「作品」を作るのだそうである。そうすると、部屋一杯に賞品で埋められていったということだった。私にはその方法はできない、気の利いたことはかけないと諦め、それができないためにプレゼント応募が当たらないのだとずっと思っていた。

 ところが、このところ当たっている。なにも気の利いたことを書いているわけではない。色をいくつか使って応募葉書を書いているのでもない。なぜか知らないが、当たっているのである。応募している数は前より多いかもしれないが、当選率から言えば今の方がはるかに高い、というか、以前は当たったという記憶がない。このところ応募のときに気をつけていることを強いてあげると、一応、競争率というものを推測することはしているようである。応募母集団の大きそうなものは応募をためらうことが多くなっている。逆に競争率が低そうなものは積極的に応募しているのかもしれない。しかし、競争率は初めからわかっているのではなく、また後になって分かるわけでもない。あくまで推測であって、競争率が高そうでもよく当たったな、とあとで思うこともある。

 最近はネットでの応募も多くなってきた。ネットでの応募は比較的簡単である。応募しやすい。とくに朝日新聞購読者はアスパラというサイトが利用できてプレゼントも多い。しかし、ネットでの応募は簡単にできるというのはみんなも同じ気持ちのようで、結果的に応募母集団の大きくなって行っているのではと思う。従って当然当たったという記憶がない。

 このように、忘れた頃、たとえ100円、200円程度のものであっても、ちょっとしたプレゼントがもらえるのは楽しいものである。こういう欲のない応募というのが一番良いのかもしれない。

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2006年4月13日 (木)

終身雇用と年功序列が最大のセーフティネット-現政権の姥捨山論に対する民主党新代表の対立軸に好感

『終身雇用と年功序列が最大のセーフティネット-現政権の姥捨山論に対する民主党新代表の対立軸-に好感』

 格差が広がっている。まだ広がろうとしている。非正規雇用者の増加などはよく知られたものであるが、現政権はそのことを社会問題視することもなく、負け組みは負けたほうが悪いのだ、負け組みもまた勝ち組になるから、という無責任なことを首相はWBCで日本チームが優勝したときに言っていた。また民主党前代表も含め野党は格差については何も主張しなかった。昨年の選挙でせいぜい社民党党首が格差のことを訴えていたのが唯一ではなかったであろうか。

 この度小沢氏が民主党代表になってテレビ等で発言しているが、そのなかで、格差対策として「終身雇用と年功序列が最大のセーフティネット」(サンデープロジェクト, 4月9日)という発言をしている。こういう考えを提示するのは、やっと野党としてひとつの考えを提示してくれたのかとホッとするところがある。年長者、とくに、50代の後半の人・団塊世代前後の人にとっては、いままでの現政権の「姥捨山」的な扱いとは180度違う方向性が提示されたと理解することができホッとできるのではなかろうか。こういう主張が出ること自体、世の中の雰囲気が変わり50代の人間にとってどれだけ救いとなることか。またそれが分からない現首相の心のまずさ、単に民主党新代表の発言を政治的なマヌーバーとしか受け取っていない現首相にはほとほとあきれ返る。

 年寄りは要らないのだとしてリストラ・早期退職がはびこっている世の中で、他方で、会社は65歳定年延長制を押し付けられている。この相反する考え方を一つの会社の中でどう処理できるのかどうか不思議に思っていた。処理できるはずはないと。年寄りは要らないのだ、若いものだけでなんでもできる、団塊世代はみんな即刻首にしてよいのだという雰囲気がある会社では、働き甲斐のある65歳定年延長制を実現は不可能であろう。そういうときに民主党新代表が「終身雇用と年功序列が最大のセーフティネット」を表明してくれるのは、やっとまともな考え方に到ろうとしている姿がうれしく思った。65歳定年延長制も現実味を帯びてきたと感じた。
  
 新民主党代表のこの発言は好感が持てるものの、その実現性についてはどの程度のことを考えているのであろうか、分からないところがある。「終身雇用と年功序列が最大のセーフティネット」に対して、経済界はどういう反応をしているのであろうか。また、この発言は、いわゆるグローバリズムと相反するものであるので、今のグローバリズムからすれば、砂上の楼閣的なものでしかならないのでは、という気がしないではない。グローバリズムの今後の展開としてはあいかわらず「正社員の賃金などを非正規社員並みに低下させていく」という姿しか見えてこない。

 しかし、民主党新代表のそういう発言をすること自体が、世の中を変えていくきっかけになる可能性を秘めている。グローバリズムに対するアンチテーゼにもなりうるのではなかろうか。

 フランスでは、グローバリズムを推し進めようとする首相の法案が数百万のデモ隊で頓挫した。さすが、フランスの若者である。日本の若者とは違うと思った。この雇用法案を撤回したあと新提案がどのようになるかはこれからのことでどうなるか分からないが、むちゃくちゃな法案には黙っていない、という気概をフランスの若者が見せてくれたものだ。日本の若者だったら同じような法案が提出された場合どう反応するだろうか、想像するだけで恐ろしい。しかし、以前は強面ての民主党新代表であり、その当時の発言・行動は私自身も好きではなかった(反対だった)が、今後のやり方をじっくり見守っていきたいものだ。

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2006年3月16日 (木)

広がってきた趣味-堆肥作り、家庭菜園、料理-今年の抱負

 昨年新居に引越ししてから始めたいくつかの趣味(実益を兼ねたもの)の中に、家庭菜園と料理がある。そして、先日から、家で堆肥作りまで始めてしまった。

 こうした趣味はどうやらひとつの流れになりそうだ。自家製の堆肥で野菜を育てて、それを用いて料理をつくる、という流れである。うまく行けば、知り合いをご招待、ということにでもなったら、私の想定外の話になってしまう。そういう夢物語が現実化するとしても数年後にはなろうが、若干ではあるが、現実味を帯びてきた。

 まずは、それぞれのステップでの今の抱負を以下に書いてみる。

 家庭菜園については、昨年9月ごろ、秋作として、4つくらいの野菜をトライしてみた。このブログにも以前書き込みをしたことがある。結果として、土作りが不十分だったので、生育がいまいちであった。その反省から、昨年11-12月にかけて、それまでの宅地(家が建っていたところ)の土地を40cm程度掘り起こして堆肥も十分にやっておいた。かなり砂地だったので畑としてどう変貌してくれるかが、今年の春作のポイントになっている。今年は、畑も広げ昨年の倍近くの畑面積になっている。そのため、作付けの種類も増やしてみようと思っている。すでにジャガイモは植えたので、来週がタネマキの本番である。忙しくなりそうだ。

 堆肥作りについては、生ゴミ発酵促進剤なるものを利用し、家庭生ゴミを利用して、堆肥を作ろうというものである。初めてのことなのでやってみるしかない。畑があるといってもそんな広さがあるわけでなく、購入した堆肥で十分安いのであるが、畑以外にも、樹木が結構植わっていて、そのための自家製の堆肥としても使う予定である。

 そして、先月から始めた料理教室である。今までは、夫婦とも仕事があり、料理教室に通うほどの(心身の)余裕がなかったので、定年近くなるまで我流の料理であった。その点は、家内にも感謝しているわけであるが、料理教室で勉強してきた料理はやはり美味しいのである。目に見えないコツ、簡単かもしれないが大切なコツを教えてもらえている。食材として、我が家で作った野菜を用いた料理がいつできるか、がひとつの楽しみである。

 料理教室といえば、「パン」の教室があるようである。我が家は、長々と、電気パン焼き機で焼いた食パンを長い間食べてきている。昨年新居に引越ししてから口にあったパン屋を探しているのであるが、近くにはなさそうである。ということで、食パン以外のパンも家庭でつくろうかと思っているところで、そのうち月一回のパン教室もにも通いだそうかと思っているところである。

 あとは、食材として魚となろうが、これについては近くの魚屋さんが料理屋さんにも販売しているところがあり、そこで買えば美味しいものが手に入る。実際に近くの住人で、1回で1万円以上もする魚を購入している人、サラリーマンがいるらしい。家庭で調理して、みんなに振舞っているとかという噂である。将来的には、そういうようなものもできればよいかもしれない。そのためにはまだまだ料理教室をがんばって、「男の料理教室」を少しでも極める必要があろうか。現在通っている料理教室は「基礎科」であり、あと1ヶ月程度で終了するので、その後は、「男の料理教室」へ進むべきかどうか迷っているところである。

 以上の様にして、全くの初心者から少しずつ幅が広がってきている。今年一年がまた勝負になるのかも知れない。こうして、堆肥作り、野菜作り、料理作り、パン作り、となればもうひとつ足りないものとして「芸術」である。自分で作った陶器で料理を楽しむ、ともなれば、蜀山人の世界か、北大路魯山人の世界か。また、先日のテレビで、宮本亜門がそんな生活をしているようなことが紹介されていた。私自身は当面デザインの方の勉強をしようとしているので、デザインを愛でながら、料理を食する、というような形になるのであろうか。会社生活をしているときには想像すらしなかった生活が段々出来上がってきているような感じになってきた。

 家庭菜園やガーデニングにしても、野菜作り以外に、もうひとつアイデア、花園作り、がある。このアイデアは後日またブログで紹介できたらと思う。

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2006年3月15日 (水)

ピラカンサにヒヨドリの来訪

 昨年新居に引越しして、新居の敷地内にいろんな草木、樹木があることをあらためて認識した。そして、その名前の同定を昨年夏、秋に行なっていたことは以前このブログにも記載した。そのなかで、なかなか名前が判明しなかったのはピラカンサである。昨秋のいつか園芸店でみていたら、家の庭に植わっているのに近いものを見つけた。近いといってもどこか違う雰囲気であった。しかし、とりあえず園芸店でその名前を控えておいた。「ときわさんざし(ピラカンサ)」であった。しかし、じっくりと見ていてやはり別物と思って、ときわさんざし(ピラカンサ)を手がかりにインターネットで探していたところ、家の庭のものとそっくりのものがでてきた。同じ「ピラカンサ」であった。一瞬ときわさんざしとは違うのにと思ったが、インターネットで書いてあるピラカンサは、「たちばなもどき」と書いてあった。たちばなもどきの方のピラカンサであった。ときわさんざしとたちばなもどきはどちらもピラカンサではあるがどこか違うと思ったものの致し方ない。

 家のピラカンサはもともと実は黄色だったが(従って「橘もどき」とつけられたのだろうか)、次第に赤色を増していった。冬は、樹木にも花も実もつかないので、このピラカンサのみが赤色濃く、周囲に存在感を増していた。結構長々と存在を主張していた。この実も温かくなったら実を落としていくのだろう。いつごろどういう風に実を落としていくのだろうか、と思っていた。

 今年は冬は寒く、鳥の声も久しく途絶えていた。今年は2月からぽかぽかと暖かい日があって、次第に少しずつ鳥の声も聞けるようになって来た。我が家にも鳥がやってきているようで、春も近いものと思っていた。

 ある日、家内が声を上げて、鳥がピラカンサを食べている、と。私も外をみると楽しそうに食べている。どこまで食べるか食べさせてやればと思った。ナンテンの実がやはり鳥の害にあうので近所でも実にネットをして防止しているところも多い。しかし、近くにはピラカンサは見かけないので一般に対策をしているのかどうか。バラ科なので対策するには難しい木であるのは確かである。

 その後も何回もそのトリがピラカンサを食べにきている。トリの名前の同定をしなければと思い、簡単な図鑑を購入して調べたら「ヒヨドリ」であった。鵯越という言葉は知っていたので珍しい鳥が来ているものだと思ったが、インターネットで調べると一般的な普通のトリとのことでがっかりした。このトリがヒヨドリだと同定する前に、家の近くの林の方から「カッコウ、カッコウ」と鳴いている声を聞いたような気がしていた。カッコウもいるものだと思っていたので素人の私にはいろいろと期待が膨らんでいた。ピラカンサを啄ばむトリも珍しいものかなと期待していた分だけ少々がっかりであった。

 とにかく、写真は撮っているのでのせたいと思う。少々ピンボケっぽいが。

 たちばなもどきの実はほとんどヒヨドリに食い尽くされたようである。

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2006年3月 8日 (水)

花粉症の最悪月間が始まった

 思考停止の1ヶ月が始まってしまった。

 花粉症の症状が出るのは大体2月20日前後であるが、それがかなり強烈になり始めるのは毎年3月8日である。これは長年の経験で、日付まで頭の中にインプットされてしまっている。今日が3月8日である。これが1ヶ月間続くのである。 

 以前のブログにも書いたように、効く薬がないため、苦痛の1ヶ月となるのであるが、思考停止にもなる1ヶ月間である。もともと思考がないのであろうが、さらに酷くなるのである。対症療法的に飲んでいる薬のせいである。

 今年は昨年の何分の一かの飛散量ですみ、楽な年という予想であるが、今日の症状を見る限り決して楽な年にはなりそうにはない。昨年を上回っている感じである。昨年5月に今の新居に引越ししてきたので理由はないが期待を込めて今年は症状が緩和されるということを期待したがどうやらそうは行かないようである。

 花粉の飛散量といえば、一週間前に、「飛散花粉量実測値公表の要望」としてブログに書いた。京都関係では、そのときは、ウェザーテックの京都右京区葛野研究室のサイトがあって、それが役立つということを書いた。その後、環境庁が環境省花粉観測システム「はなこさん」というサイトを設けているのを思い出してそのページの使い方などを勉強していた。その中で、「京都府立医科大学」という観察地点のデータがかなり綿密な、タイムリーなデータを出してくれることが分かった。指定局の時系列表(当日) 、指定局の時系列グラフ(過去7日間) など役立つ情報が整備された形で提供されていた。「花粉予報」的な、あまり意味のない情報よりは、よっぽと役に立つ情報が得られるものである。ひとつ気になることがある。測定地点での測定方法、データの表示方法を理解していないせいか京都右京区葛野研究室のデータと京都府立医科大学のデータでデータが一致していないのである。観測地点が違うからといっても、数十倍も数値が違っていればどう理解してよいかまごつく。しかし、私の症状は京都府立医科大学のデータの方に合っていそうだから、そちらを優先的に見ている。

 ともかく、データの公表の要望は一歩前進した形で解決したようである。しかし問題はこの花粉症にどう対処していくかである。毎年のことながら大変である。お医者さんと相談して処方してもらった薬だけでは楽になっていないのが現実である。昨晩は空気洗浄機を運転したが、寒いだけでいまいち効果がなかったような気がする。五里霧中という感じである。明日は料理教室である。講習中に鼻をかんでばかりでは困るのでどうしようかな。明日の講習中には症状が悪化していないことを祈るばかりである。

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2006年3月 2日 (木)

飛散花粉量実測値公表の要望

 先日、私の花粉症について書いた。今年の花粉の量はどの程度か、ということについては、平年より少ない、という予報のみでていて、実際どの程度花粉が飛散しているかよく分からない。

 毎日の予報は、「猛烈に多い,  非常に多い, 多い,  やや多い, 少ない 」のような区分で、非常に飛散量が多いと予想されている年でも、少ないと予想されている年でも、たとえば猛烈に多い,  非常に多い、などと同じように予報が報道されていて、実際の患者としては、どの程度覚悟しておけばよいかはなはだ困難である。それよりかは、気温、降水確率のように数値でもって予報してもらう方がよっぽとありがたい。

 花粉予報が最近はTV, 新聞, インターネットといろいろのメディアを通じてされるようになったが、その予報があたったかはずれたか、さっぱり分からない。天気予報が当たらないというのは、今は常識的になっている。長期予報にいたっては、それを報道するのがよいのかどうか、公費の無駄遣いてきなところがある。とくに今年の冬の長期予報は典型的な「はずれ」であり、後世に残る記録的な「はずれ」の例となろう。

 それとおなじで、花粉予報も、いまのままでは、出すだけ無駄であり、患者をいたぶっているとしか思えない。予報が外れてもよいが、予報その真偽がどうであったか、も含めて報道すべきである。

 そのためには、毎日の観測データを報道してもらわないと困るのである。しかし、寡聞にして、毎日の観測データが報道されていることは知らない。もしご存知の型がおられたら教えて欲しいものである。唯一知っているのは、キッセイ薬品のサイトで、測定した花粉量も伝えてくれている。しかし、このデータがリアルタイムになっていないのが残念である。数日前のデータが欲しい。また、そのサイトでは花粉の予想は出ていない。したがって観測データと花粉予報とをつき合わせて調べることが出来ない。何らかの方法で、花粉予想した結果が当たっていたのかどうかの方も同時に表示してもらったら分かりやすいものである。

 ここまで書いた段階で、改めて花粉情報についてインターネットで検索してみた。ウェザーニュースに花粉チャンネルがあるのを見つけた。私は京都に住んでいるので、京都のところを見ると、葛野研究室というのがあって、「ポールン・ロボット」というものが、花粉量を測定しているようである。今年の過去データも出ていた。非常に分。これで、ひとつの問題点は解決した。

 しかし、ただちょっと待てよとなった。この10日間程度、花粉予報として「非常に多い」というのがすでに何日かでている。しかし、ポールン・ロボットによると毎日そんなに多くはなかったことになる。やはり予報と実測値が一致していない。

 なぜこうして、私が、花粉予報ではなく、飛散花粉量実測値を知りたがっているか、というと、花粉症の患者、たとえば私が抗アレルギー剤を飲んでいるとしよう。もし、その人が花粉の症状が出なかったとする。その場合、花粉が実際は飛んでいなかったのか、あるいは、飛んでいても薬が効いて症状がでなかったのか、分からない。幸か不幸か、私にとっては以前に書いたように抗アレルギー剤が効いたような記憶がないので、今までは、花粉飛散実測値なるものは不要であった。しかし、少しでもQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が改善された生活をしたいと思っているので、そのための対応策を考える情報(飛散花粉実測値)すらないということはいかがなものかと思う。そしていたずらに「間違った」花粉予報を繰り返されるのみでは、患者だって、人間だよ、馬鹿にしないでよといいたくもなるものだ。

 ウェザーニュースのサイトでポールン・ロボットで観測され、その情報を提供してもらえるのはありがたい。なぜ、公の機関がそういうことが出来ないのであろうか。小さな政府を目指す現政権のため切り捨てられているのかとも思いたくなる。しかし、小さな政府を目指す結果がデフレの時代に「増税」とはどう見ても納得がいかないものだ。

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2006年3月 1日 (水)

私の長年の花粉症と今年の期待

 花粉症の季節が今年もとうとうやってきた。だいたい2月20日が危険日である。花粉症になったのはいつごろであろうか。学生のときには、この季節、風邪もよく引いていたので、風邪か花粉症か不明であり、また世の中もあまり花粉症という話もしていなかったようなのでよく分からない。しかし、どうやら学生のときから花粉症であったような感じがある。

 花粉症だとはっきりしたのは、会社にはいってからであり、会社に入ったことにより、花粉症が発生したのか、と思っても悪くないくらいのよいタイミングで花粉症が悪くなっていった。

 その後ずっーとこの季節、花粉症に対しては眠くなる市販薬で対処していたが、眠たいばかりではなく、これらの市販薬を飲むとなぜかしんどくなるという状態であった。また、くしゃみで夜は寝れず、目をこすりすぎて目の周りはボロボロになっているというのがいつものことで、これらのことが最大の問題点であった。

 そのうち、夜中に花粉取りのため空気清浄機を回し始めてから、夜眠れないというのはかなり解消していった。いまでこそ、花粉対策のエアコンもあるかもしれないが以前はなかった。10年以上前に簡単な空気清浄機を購入していた。そして空気清浄機の運転は微弱にして夜中じゅう運転すると花粉症はまあまあおさまった。しかし、運転を少しでも強くすると、今度は冬の冷気循環のため風邪を引きやすくなってしまうという困ったこともときどき起こってしまった。

 空気清浄機があれば大分楽であるが、それが使えない場所ではどうしようもない。市販の対照療法薬では改善されない。飲むとしんどくなるので飲むのは控える。そうすると、目のかゆみ、鼻づまりはひどくなる、という繰り返しであった。

 ここ数年、花粉症治療用の薬を医院でもらうようになった。花粉症が出る前から飲んでおくという抗アレルギー薬である。2月20日が発症日なので、1月の末から飲んでいても、2月20日前後に必ず発症してしまうということが続いていた。発症前から飲んでおくというのはどうも理解に苦しむ話であるが、その薬が効いたという人が多いことも確かなようである。私の場合はいままで2種類くらい薬(結構メジャーなもの)を替えてもどちらも効かなかった。

 そのうち、市販の対照療法の薬が一変した。大体のこの類の市販薬に含まれている塩酸フェニルプロパノールアミンが使用禁止となった。平成15年の8月のことである。飲んでしんどい思いをしたのはこの成分のせいかと変な因果関係を考えてみたり、また、この成分がなくなったら、効き目も少なくなるのでは、と心配しながらも、この成分が世の中の薬からなくなってからは、飲んでしんどいという感じは確かになくなった。とりあえず対症療法的には、抗アレルギー薬よりは効き目があるような感じになった。しかし、花粉量が多いときは、その薬の効果も限定的で、目の痒さ、くしゃみ、鼻づまりは相当なものである。

 このように長年、花粉症を患ってきて、昨年春、新居に引越しし、昨年夏会社を退職した。こういう変化があって、今年の花粉症の季節がやってきた。2月20日には発症しなかったものの、2月22日ころから、目がむずむず痒くなってきた。通いつけの医院も引越しで当然変わった。先生には、最近の私の花粉症の状況を説明し、いままで効かなかった抗アレルギー薬は止めてもらって別の抗アレルギー薬をもらった。目と鼻の薬は、抗アレルギー薬は効かないので、ステロイドが入ったものをもらった。今年発症してから約1週間たつ。すでに気象情報の中の「花粉情報」では「非常に多い」というのが何回かでている。しかし、今年の場合は、今回始めての抗アレルギー薬は欠かさずのんでいるせいかどうか分からないが、夜中に空気清浄機を回さなくても十分に寝れているのである。朝時々鼻水が出ることもあるが、それも昨年使用していて残っていた抗アレルギー薬の目薬・鼻噴霧薬で一応収まるのである。ステロイド入りの目薬・鼻噴霧薬の出番は今のところない。

 今はまだ花粉の量が少ないので以上のような気楽なことが言っておられるのかもしれない。3月上旬-中旬に最盛期になるので、そのときは悲鳴を上げているかもしれない。そのときはステロイド入りの目薬・鼻噴霧薬の出番でどういう効き目を示すかである。

 しかし、花粉症が悪くなったのは会社にはいってからであるという認識をいまだに持っているので、昨年夏に退職したため今年の花粉症はこのまま程度がましである、となることを密かに願っている。

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2006年2月24日 (金)

最初の開花 馬酔木

 今の家に引越してきたのが、昨年のコールデン・ウィークの真っ只中である。そして、そろそろ一年になろうとしている。引越し後、家の敷地内の樹木、草木について興味を持って、いろいろリストを作成してきたものである。こうして一年近く経ったのではあるが、今年の冬は特に寒く、どうなることかと思っていたが、高断熱のプレハブ家の部屋では、その寒さもやわらいで、改めて、よかったと思っている。

 ただ、ひとつだけ分かっていないのがある。今年のこういう寒さで、敷地内の樹木、草木もほとんど冬の冬眠に入ったままで、このところ寒さが少しやわらいできたものの、いまだに眠ったままである。いつごろの時期から、どういう花が、どういう順序で咲いていくのか、ということについては、未体験のことである。すなわち、2-3月ごろの樹木、草木の動きが未経験のことなのだ。そういうことで、花が咲くのは今か今か、と待っている。私も好きな梅の花は早春の花であるので、それが最初に咲くのでは、と思ってみるもののわが敷地には残念ながら梅の木はない。モクレンの木があるが、それは大きなつぼみをつけたままで、いつ咲こうかという表情をしているものの、桜の少し前の開花の時期なのでまだもう少し先のことである。

 昨年、敷地内の樹木のリストを作っていたときにこんなに早く花が咲くものがあるのか、と思ったのが、馬酔木である。そういうことで、馬酔木の花の開花を今か今かと待っていたのであるが、昨日今日、ついに咲き始めた。その可憐な花を写真に収めたので、見ていただきたい。レンズはTamronの90mm(カメラはニコンD70)です。

椿も昨年11月ごろから季節を忘れたかのように1-2輪咲いていたが、このところ改めて1輪咲いていたので一緒に写真に収めました。

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2006年2月19日 (日)

「男やもめの寿命いろいろ」

 今日の朝日新聞朝刊の「あっと!@デ~タ」のところに「男やもめの寿命いろいろ」と題して国立社会保障・人口問題研究所の統計データが紹介してあった。

 そのデータは中年男性の平均余命と配偶者の有無などの関係を調べたものである。それによると、『離婚離別男性者の余命 < 配偶者死別の男性の余命。その差 6.2年 (参考:40年前はその差は無し)』ということである。

 配偶者ありの男性の余命、未婚の男性の余命、死別の男性の余命がいずれもこの約40年間同じ傾きで伸びているが、離婚離別男性者の余命だけが伸びだけが低迷している。そして、離婚離別男性者の余命は、未婚の男性の余命よりも短くなってしまっている。

 昨年も「熟年離婚」というTVドラマがはやったが、2007年以降は熟年離婚がさらに増えていくと予想されている。こういう統計データをみると「熟年離婚」は深刻な社会問題を生みだすと心配される。TVドラマ自体をみていると、こんな深刻な問題は起こらないようなドラマ仕立てになっていたように感じた。あのドラマでは、離婚届けは出したものの幸せな家族のように思われるところも多かった。しかし、離婚離別男性者の余命が伸び悩んでいることを思えば、現実の社会は今後どんなになっていくのだろうか、と心配は募るばかりだ。そうでなくても昨今、家族内の殺人事件があまりに多い。そういう社会情勢に加わるにこういう「新たな」問題が拍車をかけてくるのであろうか。

 30-40年間で、男性の余命に、どうしてこんな差がついたのか、詳しいことは分かっていないらしい。しかし、思うに、私も含めて、人間とは弱い存在である。そういう弱いもの同士が醜い争いをやらざるを得ない本性があるのは、寂しいものである。熟年離婚のみならず、リストラ(早期退職も含む)しかり、グローバリズムしかり、その他もろもろのものしかりである。なんとかならないものであろうか。

 少しでも政治が何とかできるような世の中であって欲しいものであるが、昨年の選挙などみれば政治家は身内ないでも政争に明け暮れているようにみえる。

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2006年2月14日 (火)

デイトレーダーになれそうにない私

 定年退職者の間で、時間をもて遊んで、また、趣味と実益を兼ねてデイトレーダーかそれに近いものをやっているという話を聞くことがある。私も早期退職者であり、時間はあるが収入はないという現状である(まだ再就職もしていないので)。しかし、退職後はデイトレーダーでもできればと思って、あるインターネット証券に登録はしているのであるが、なかなかやる気がしないである。前職の会社の定年退職の先輩が何百万円も儲けたという話を伝え聞きしても、「じゃあ損はいくらしているの」と聞きたくなる、というのが性分である。

 そういうときにLD事件となった。犯罪するにもかなりの「それなりの」創造性が必要らしく、なかなか、素人にはわかりにくいことを日夜、繰り返しやっていたようである。ホリエモンもフジテレビなどの買収のときだったと思うが、テレビマイクに対してこういっていたのを覚えている。「株価は、あす上がるか、下がるか、わからないでしょーう。わかりますかぁー。」と。極めて当たり前のことを言っていると、そのときは思った。しかし、じゃあ、あなた、ホリエモンはどうやってお金儲けしているのですか、とテレビに向かって言いたかった。今から思えば「私は株価を操作しているのから儲けているのであって、あなたたちは株価の上がり下がりは予測できないので儲かっていないでしょう」と言っていると理解するべきであった(うすうすはそう思っていたが)。

 そうでなくとも、株価の世界はやはり本当にわかりにくい。退職前まで持株会に入っていた。その株を売りたいが退職後1年間は売れないのである。内情を知っていれば当然株価が下がるしかない株と思っているのであるが、なぜかこの半年間上がっているのである。退職後1年間は売れない、という制約が今のところプラスに働いているのである。LD事件や前職の会社の株価の不思議な動き方などをみれば、デイトレーダーなどはほんとうに博打をやっているとしか思えないのである。ただし、今は、平均株価が右上がりなので、多くの人が容易に儲けているのも事実であろう。

 そもそも、私の経歴は自然科学の分野で勉強し、そして、会社でもその関係の仕事をしてきたものである。自然科学の道理から外れるようなことは、どうしても、わかりにくい、理解しにくい。そういう性癖があって、つまり理屈を考えすぎて、デイトレーダーなどにはなかなかなじめないということが、そろそろわかってきたようである。単に「賭博場」に行って金を無くしてしまってよい、という覚悟であれば別であるが。

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2006年1月 7日 (土)

新居におけるこの寒い冬の気温と室温の記録

 昨年春、新居を新築し、昨年5月に引越してきた。新居を建てるにあたって最も重要視したことは「高断熱の家」ということであった。このことはすでにホームページに記載している(「とんぼナックの新居建設の記」)。高断熱のおかげだと思うが、昨年の夏は結局、室内最高気温が32℃どまりで、エアコンを稼動させなくても済んだ。

 問題は冬の寒さはどの程度であるかということであった。本来ならば、冬が全部終わって春になったときに振り返ってみるのがよいのであろうが、この冬は昨年12月にすでに通常の真冬以下の気温を記録しているので、今の時点で振り返っても良いであろうと思われる。

 そういうことで、この11~12月の気温について以下のように検討した。住んでいるところは京都市なので、京都地方気象台の記録が京都市の気温として記録される。京都地方気象台は住所は「京都市中京区西ノ京笠殿町38」となっている。丸太町と御池の間で西大路よりは少し東に入ったところと思われる(http://www.osaka-jma.go.jp/kyoto/kyoto11.html)。私の住んでいるところは左京区なので京都地方気象台の北東にあたる。そして、私の住んでいる地域を口にするだけで、そこは寒いところですね、と皆から異口同音に言われる。じゃあ京都地方気象台と比べ何度低いと思いますか、と質問してもみんな「うむー」と唸ってしまい、1℃、2℃、....という数字を苦し紛れに出すだけで埒が明かない。また、そういう数字も数字だけで、どの程度実感として寒いのかわからないのである。

 そこで、私としては、百葉箱は高価で(10万円以上するらしい)場所も取るので、新居の北側に(陽の当たらないところに)最高最低温度計を置くことにした。ほぼ毎日測定することにした。その結果、グラフのようになった(グラフをクリックすると拡大グラフが表示される)。11月26日から12月29日までの気温である。京都地方気象台と比べ、平均して -0.7℃(最高気温)、-0.8℃(最低気温)の差となった。こういう数字が出たが実感としてどの程度の差かやはりはっきりしない。ただ、みんながおどろおどろしく言うような寒さではないな、という感じで、「少々ひんやりする」という表現が適切かとも思う。

 そういう外気温であったが問題はやはり室内気温である。もともと新居を建てたのはあるハウス・メーカーであるが、そこと契約するまえにインターネットでいろんな体験談を読んでいた。たしか長野県の方だったと思うが、そこでは、そのハウス・メーカーの建てた家で室内温度は10℃以下にはならないという報告があって期待はしていたが、長野県の仕様だと一段の高断熱化(寒冷地仕様)がしてあると思われるので、京都ではどうであるかがやはり心配であった。

 そこで、ほぼ毎日、朝一番(大体は6時半)、私が作業場にしている1階の洋間の温度を測定した。その結果をグラフで示した。明らかに10℃以上の室内温度であった。より正確な状況を示すと、就寝するまではその部屋も暖房しているので20℃前後になっている。その後暖房をOFFにして寝室で寝るのであるが、朝までゆっくりと温度が下がっていっているのである。しかし外気温が -4.0℃(我が家のこの冬の最低気温)まで下がっていても、室内は10℃以下にはなっていないのである。

 いずれにしても、引越し前に住んでいた家では外気温と室内温度にこんな差があったような記憶がない。前の家の寝室では、オイル・ヒーターを12年近く使っていたのであるが、夜中にオイル・ヒーターのバイメタルがON/OFFを繰り返すことは一度も経験したことがなかった。新居でそのオイル・ヒーターのバイメタルが頻繁にON/OFFを繰り返しているのに気づいたとき、このオイル・ヒーターもまともに温度のレギュレーションをしているのだと始めて認識したものである。それほど前の家と今度の新居で大きな差が出てきた。

 今は1月の初めであるが、この冬はすでに十分寒いので、3月までこれ以上の寒さにはならないと思うしひと安心である。これで、一番心配していた暖房面については計画通りにうまくいったと思われる。

 「とんぼナックの新居建設の記」で述べたように、通常の工務店で建築していたら、どの工務店でも断熱材の量がわずかで、また、窓ガラスも複層ガラスではなくせいぜいペアガラスで断熱効果の低いもので、建築後に工務店と大喧嘩をしていたと思われる。実際、どの工務店でも私の希望する断熱材の量は拒否されたし複層ガラス自身も拒否された。ひどいところになるとペアガラスを提案されたこともあるが、それは見かけのみのペアガラスで、一枚ガラス用仕様の窓ガラス枠に無理してガラスを二枚押し入れたいうお粗末なものもあった。

 新居については、あとは、地震の心配である。これもハウス・メーカーのほうは、阪神震災の経験などから太鼓判を押しているようであるが、そういう安全を求めるのは当然としても、二度と阪神震災なみあるいはそれ以上の地震が来ないことを祈るばかりだ。

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  (グラフのクリックで拡大します)

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2005年11月19日 (土)

鳥インフルエンザの脅威_免疫の過剰反応

 鳥インフルエンザの脅威のため、各国とも予測される事態に対応しようとしている。あのハリケーン・カトリーナの襲撃に対しては、襲撃前も襲撃後も無策であり、下層階級の人に対して冷酷であったブッシュも、この鳥インフルエンザに対しては、上流階層、いわゆる勝ち組も大いなる被害を受けるという予測が容易に出来るためか、早々と巨額の資金を投じて対応にあっている。日本もなんとか対応をしようとしている。

 11月17日の朝日新聞のネット・ニュースでは「高い死亡率、免疫の過剰反応が原因か 鳥インフルエンザ」という題で香港大学の学者の論文を紹介していた。「レスピラトリー・リサーチ」という医学雑誌に掲載予定の論文であるので、ダウンロードして読んでみた。朝日新聞の書いている内容とほぼ一緒であり、鳥インフルエンザH5N1型の感染者の死亡率が高いのは、炎症を促す物質が過剰に分泌されることが関係しているらしい。

 しかし、香港大学の学者の論文では、市販されている正常の気管支由来の内皮細胞株や非感染者から採取した正常の肺由来の細胞株を用いた実験であり、感染者のサンプル、たとえば、組織や細胞を用いて実験した結果ではないのである。それらの正常細胞株にin vitroで(培養系で)鳥インフルエンザH5N1型を感染させると、いくつかのサイトカインの産生が亢進したというものである。したがって、「炎症を促す物質が白血球から過剰に分泌される」という記事での「白血球」という単語は論文ではどこにも出てこないのである。

 また、論文データは、in vitro(培養系)での実験であり、その実験の結果が、実際の感染者での状態をどの程度反映しているかは不明なのである。したがって、「高い死亡率、免疫の過剰反応が原因か 鳥インフルエンザ」と言い切るには、データが足りないのである。しかも、一歩ゆずっても、論文で示されている「いくつかのサイトカインの産生が亢進した」ということが「高い死亡率」の原因であるということを結論づけるには今のところ飛躍があると思わざるを得ない。とはいうものの、この論文で示されているような「鳥インフルエンザH5N1型が異常な免疫反応を誘導する」という可能性は否定できないと思われる。

 この話で思い出すのはSARDSである。SARDSが怖い感染症であったのは、その高い死亡率であった。しかし適切な治療をするようになってからは、生存する人も増えてきたように覚えている。またSARDSの場合も異常な免疫反応があったように覚えている。どういう治療をしているのか、そのころ興味があって注意して新聞などを見ていたが、どうやらステロイド剤を用いているようであった。ステロイド剤は免疫抑制に働くので、ステロイド剤での治療は抵抗力を低下させるので良くないのではと思っていたが、実際行なわれているのは、「過剰な免疫反応を抑えるが抵抗力は低下させない」という治療をするようであった。この辺の「さじ加減」にはノウ・ハウがいるものと思われた。

 SARDSの場合は感染が空気感染ではなかったので、怖いながらも大流行するにはいたらなかった。今度の鳥インフルエンザH5N1型の場合の最悪のシナリオは「空気感染」が心配されているためブッシュまでが予め対応しているのであって、その惨事は、昔のスペイン風邪に匹敵するものと考えられている。鳥インフルエンザH5N1型にしてもスペイン風邪にしても、なぜ、死亡率が高いかということがわかっていなかったと思うので、今回の香港大学の学者の論文は「免疫の過剰反応が原因か」ということを示唆した論文で、我々も注意して対応することが必要である。もし免疫の過剰反応が原因であった場合、感染者に対しては、SARDSの場合と同じような治療が必要で、そういう治療ができる施設は限られているということが、SARDSの場合明白になったのは記憶に新しい。SARDSのように感染力の低い場合でもそうであったのであるから、鳥インフルエンザH5N1型の場合は一旦感染してしまう大変なことになる。

 いま、鳥インフルエンザH5N1型への対応は、その予防(タミフルの備蓄)であり、それはそれとして必須のことであるが、一旦感染した人に対する治療体制について明確な話を寡聞にして聞いたことがない。本当に心配である。

 我々に出来ることはなにもなく、せめて、例年のインフルエンザの予防接種でもやっておくか、ということに的外れのことになるが、願わくは、早く鳥インフルエンザH5N1型のワクチンを開発してもらいたいものだ。

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2005年11月13日 (日)

若葉マークの家庭菜園とシイタケ栽培

 今年の8月後半から、若葉マークの家庭菜園をやっている。早期退職の団塊世代の私であるので、晴耕雨読の毎日である。といっても、菜園の広さはわずかなのでほとんどが「雨読」の毎日であるが。

 全く勉強をしたことのないものがやる家庭菜園であったが、簡単そうに見えるものから植えていった。ラディッシュ、コマツナなどは比較的早く収穫ができたが、コマツナは、生育が貧弱で、とても、湯がいてたべるには量が足りない。したがってほとんどサラダとしてたべている(ラディッシュについては以前にブログにて報告済み)。

 今日は、楽しみであったチンゲンサイを収穫した。ホウレンソウも含めた中で一番生育が良かったのはチンゲンサイで、その味がどうであるか楽しみであった。家内は中華料理の材料としてチンゲンサイを料理してくれた。結果はどうであるかといえば、スーパーなどで買うチンゲンサイは手を出さないのに、家庭菜園のものは、美味しそうに食べていたというのが家内のコメントであった。ホウレンソウが惨めな感じで失敗しているようなので、チンゲンサイの味が悪かったらと残念だと思っていたが、結果は成功のようである。若葉マークのものとしては、ほっと一安心したところである。

 家庭菜園とは別に、シイタケ栽培もできれば楽しいのに、という色気がこの1ヵ月ほどででいた。インターネットでいろいろ調べても通信販売で購入するには勇気がなかった。そうこうしているうちに、ある日、コーナンで、種駒打込みのホダ木を売っているのが目に入った。早速購入し、栽培することにした。購入したホダ木のうち1本は熟成済ということで早くシイタケが出てくることを期待した。期待通り、早い目に、芽(?)が出てきた。そうして約1週間目の今日収穫して、家内に料理してもらった。

 結果は期待以上のおいしいものであった。シイタケの天ぷらと、シイタケ入りのスープであった。どちらも久しく食べたことのないようなシイタケの美味しさであった。そして、シイタケのやわらかさはなんともいえないもので、我が家が急に高級料亭に変身したかのようであった。家内曰く「あわびやふかひれのような感触と味わい」と誇張した表現をしていた。

 シイタケについては、1本のホダ木から3-4年はシイタケが取れるので楽しみだ。毎年ホダ木を追加購入してたくさん取るつもりである。

 若葉マークの家庭菜園については、まだまだ若葉マークははずせないが、この2ヶ月の反省を基に、来春のタネマキを目指して、今のうちから準備している。特に、今年家を新築して、以前は、家が建っていたところを菜園にしたので、本来ならば、土づくりをきちんとやっておかねばならなかったのであるが、盛夏の8月は畑仕事をするには暑くてたまらなかった。そのせいか土づくりが不十分であった可能性がある。その割には、どれもこれも、なんとか育ってくれたという思いがあるが、やはり生育不足は否めないので、しっかりと土づくりをやることと心に決めた。そして、菜園の区画の広さもこの秋の2倍に広げようとおもっているので、今のうちから「晴耕雨読」で、準備をすることにした。そして今日も2時間ばかり、鋤を持って「開墾」をした。そういうあとの初取れのチンゲンサイ、シイタケの試食は、なんともいえないもであった。家庭菜園をするのは家計の足しにするという一面もあるが、それ以上に意味があるのは、「美味しい野菜」が食べられることという当たり前のことを改めて実感した次第である。

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2005年11月 9日 (水)

フランス暴動とグローバリゼーション

 フランスで暴動が勃発してから2週間ぐらい経つ。暴動を起こしているのは北アフリカの旧植民地からの移民者で、人種、雇用差別への反発や貧困が背景にあるらしい。失業率が25%にもおよぶ地域があるそうである。

 正直なところ、この暴動が勃発してからどういうことなのか事態を把握できないでいる。日本での報道も外国メディアの受け売りの感じがしている。外国のメディアも現状についての報道だけのようだし、その背景にあるものを伝えてはいないようである。

 今度の暴動は非組織的といわれているが、従来は非組織的な組織といっても何らかのオピニオン・リーダー的な人がいて、その人にたどっていくと、暴動の思想などを聞けたものである。団塊の世代の起こした暴動としては全共闘運動がある。これもどちらかというと非組織的な運動であり、全共闘の委員長などは存在していたもののそんなはっきりした組織はなかった。したがって何を考えて行動を起こしているのかわかりにくいこともあった。今回の暴動についても、今のところオピニオン・リーダー的な人はいないようだし、単に若者が暴れまくっているという類の報道であり、フランス政府も50年ぶりの非常事態宣言の発令ということになった。

 フランスは思想面でいつも歴史を先取りするような運動や事件のある国である。そのため今回の暴動も単に移民者の腹いせというような捉え方をしてよいものかどうか判断しかねている。

 最近読んだ本のなかで印象深かった本に、的場昭弘さんの「マルクスだったらこう考える」という本がある。この本に興味を持った理由は、グローバリゼーションの結果、世の中が二極化しているのに対してフランスでの10年前の運動がグローバリゼーションに対抗する動きになるのではと紹介してある。
「<帝国>に抵抗する新しいグローバリゼーション」という章の中で、多民族国家になりつつあるフランスでの社会運動のことである。引用しながら紹介すると次のようになる。『1995年にフランスで起きたストライキがある。そのストライキはゼネストを思わせる盛り上がりを見せた。なぜそうなったか。それはその年の四月から始まった移民労働者たちの住宅を求める運動に、労働者や市民が合流したことにある。この運動は非組織的な労働者を動かしたところに新しい傾向があった。彼ら(労働者や市民)が、移民労働者やフェミニズムの運動に応える形で、運動の主たる方向をすべての人々の権利の問題に向けたのである。』という内容である。

 この本を今回のフランス暴動が起きる前に読んでいたので、今回の出来事が、こういう移民者と市民(労働者)の連携がある国で起こったとはどうも信じられないのである。新しいグローバリゼーションの動きの予感がしていたのに、もし今回の暴動がそれを逆行させるものであったら残念でたまらないという思いがある。ぜひとも、今回の暴動の真相、思想を明らかにしてもらいたいものだ。また、フランス政府にも、「グローバリゼーションに対抗する新しいグローバリゼーション」の立場から、新しい時代を作っていくような政策を出してもらいたいものだと思っているが、とりあえずは、非常事態宣言の発令である。逆方向ともおもわれるが、一時的には必要であり今後の対応に注目したいものだ。

 このように、インターネット、携帯電話などの利用で、非組織的な運動が最近目につくようになったと思う。それが暴徒化するというのは今回のフランスだけではなく、中国でも今年の反日デモの場合も当てはまる。このような状態になると労働者や市民も連携できなくなる。1995年のストライキの時に合流した労働者や市民の今回の暴動に対する考え方なども聞いて見たいものである。

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2005年11月 2日 (水)

「早期退職者は早死」の論文の注意点

 先日、Shell Oil社の研究で、退職時の年齢(55, 60, 65歳)と寿命との関係について30年にわたって調べた結果がBritish Medical Journalに掲載された。55歳で退職したものは、60歳や65歳で退職したものより寿命が短くて、60歳と65歳で退職したものは寿命に差がない(正確にいえば、有意差はみとめられなかった)という内容である。

 その論文について日本の報道でも紹介されたためブログなどにもかなりの書き込みがあり、大体の論調は「この研究結果は『55歳で早期退職し、その後リラックスした生活をする人は、(会社生活の)ストレスがなくなる長生きをする』という一般の考えに反したものである」という論調がかなり見受けられ、極端なことを言う人は「会社生活のストレスも意味のあるものだ」となってくる。

 私自身も早期退職者なので心配になり原論文を読んでみた。多数の退職者の追跡調査で論文中の表やグラフなどはそんなに多くなく新聞報道で言われているような内容のデータになっている(ように思われる)。

 しかし、その論文で疑問があるとすれば、早期退職者の退職理由がデータ処理に含まれていないことである。体が弱くなり早く止めざるを得なくなった人がどの程度いるのか、また、その人をデータから除いた場合どういう結果になるのかについて一番知りたかったのであるが、その重要なポイントが抜けている。

 その点については、論文の著者も気づいていて、『「55歳退職者の早死」という結果は病弱なため55歳で会社を辞めざるを得なかった人も55歳退職者に含めているせいである』という可能性を否定していない。

 そのため著者たちは「55歳で退職し65歳以上生きた人」と「65歳での退職者」で寿命を比較した結果、やはり55歳で退職した人の方が早死にであった、というデータを提示している。しかし、またもや彼らは、このような比較においても、早期退職者の退職理由が病弱であったという可能性を完全には除去できていないことを認めている。

 このように、これら統計データはひとつの参考にはなるが、新聞報道などで伝え聞くような結果を鵜呑みにするにはまだ調査不足かなと思われる。

 10月28日付けのNikkei Netに「早期退職者の寿命は予想に反して短い」という記事が載っていた(http://health.nikkei.co.jp/hsn/news.cfm?i=20051028hj000hj)。その中に、Shell Oil社の広報部のコメントとして『55歳で退職した人は、退職時に健康上何らかの問題がすでに存在していたためではないか」との見解を示している』という紹介がある。また、ある研究所の先生の『「早期退職者のようなグループには、健康上の理由により退職する人が相当いる」点を考慮すべきであると述べている』という紹介もある。まさに私が最初にこの論文に触れたときに持った印象と同じである。私からみたら中途半端な新聞報道が一人歩きし、必ずしも正確とはいえないことが伝わり、その挙句は話が一人歩きし「会社生活のストレスも意味のあるものだ」という言い方をする人が出てくるにいたっては報道の仕方に問題があるといってもいいだろう。

 今回のShell Oil社の調査は1973年から2003年まで30年間行なわれている。病死ではないとしても、退職理由はこの30年間でいろいろ変わっているであろう。日本を見てみれば、とくに、小泉政治になってから自殺者が増加している、しかも50代以上の自殺者が増加しているということであるし、また、リストラは一般的になってきた。経済は少し上向いてきたとはいえグローバリゼーションの弊害はどんどんすすんでいっている。米国でもグローバリゼーションによる二極化はますます進んでいるようで、1973年ごろと今とでは極端に違うといってもいいだろう。したがって、Shell Oil社のような調査がもし今スタートされたら、30年後にはまた別の結果がでてもおかしくないだろう。日本でもこのような調査が今スタートしたら、それも一風違った結果になってもなんらおかしくないだろう。またそのためには今回のようなシンプルな調査ではなく、綿密な調査が必要と思われる。

 昔から言い古された言葉を今思い出した。「一般に50代は身体的にも精神的にも不安定であり、60歳になると安定する」というものである。そうだとすると、そういう肉体的・精神的な微妙な違いが今回の統計には含まれているのかもしれない。そのことが、60歳退職者と65歳退職者で差がない、という話と一致するように思える。

 いずれにしても、早期退職者にはそれぞれの退職理由があるが、必ずしも長生きするためにわざわざ早期退職を選んでいるのではないであろう。そういう人はごくごく一部であろう。本来ならばそういうことがなくて、生きている間は、楽しく生活できたらと思うのであるが、そうはいかないいやな世の中であることは間違いない。

 上記紹介したNikkei Netの記事の最後にある人の言葉として「退職後の生活を活気あるものにすることが大事であるという」と紹介してる。当を得た言葉であると思う。またそういうことが退職後にもできる社会であったならと思う。

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2005年10月28日 (金)

京都北山通・異国風情のハンバーガー・レストラン

 今年の5月に、比叡山を近くに見渡せるところに引越しした。そろそろ半年になろうとしている。新しい土地での生活なので、いろんなお店などがどこにあるか把握するために、ときどき「街角探検」と称して家内とともに自転車でひとっぱしりすることがある。地理的には、京都北山通りの東端やそれと交差する白川通や東大路通などを中心に街角探検をするのであるが、北山通りといっても東端なので、おしゃれな通りという感じはないところを探検している。

 生活に必要なところからということで食料店、スーパーその他のお店などの探検を中心にしていた。見落としていた面白そうな食料品店を見出しては狂喜したりして。また、時々は、飲食店などのチェックも入れていた。

 そういうときに、「Speak Easy」と書いた建物があった。ここは何をするところであろうか。建物の外側から見たところ、何らかの集会場のような感じもする。Speak Easyだからみんなが集まって英語でもしゃべるような集会場か。ちょっとした喫茶店のような感じもする。飲食店のような感じはしない。そうしているうちに、インターネットである掲示板を見ていたときに「スピークイージー」としてだれかが書き込んでいるのを発見した。そこには「外食店」と紹介してあった。しかし、どうみても飲食店とは見えないし、客が入っているのも見たことがないので一旦そのままにしておいた。

 我が家では大体夕食は家でして外食することはあまりないのであるが、昨日の晩、急遽外食する必要が出てきた。そこでどこにしようかと考えた挙句、「Speak Easy」が飲食店らしいのでそこに向かった。夜「Speak Easy」に立ち寄るのは始めてであった。今回は客が多く入っているのが確認できた。お店の入り口にメニューもおいてあった。その店はやはり飲食店であった。メニューをみて驚いた。なんと、アメリカ風のハンバーガー・レストランであった。ハンバーガー・レストランといっても、ピザもあればピラフもありタコ・ライスもある。そして、当然、サンドウィッチもある。今晩の夕食はここだと決めた。

 ハンバーガー・レストランというと30年前のことを思い出す。1970年代の後半の数年間カナダ・トロントに滞在したことがある。一人で生活し、自炊はしなかったので、外食がメインになる生活であった。しかし、なかなか口に合うものがなかなかない。その当時日本食は一般的ではなく、そのときの私にとってまともなものが口に入るという状況ではなかった。食べるものが何かにつけてまずいと思いながら、そして、いろんな店をトライしながら毎日を送っていた。ハンバーガー、サブマリーンも食べるにはつらいものがあった。

 しかし、2年くらいたったころから、ハンバーガーが美味しく思えるようになってきた。どうしてかわからないが、ある時期、急にそう感じるようになってきた。ハンバーカー・レストランに行って、ハンバーカーに、オニオン・スライス、トマト・スライス、チーズなどを載せてもらい、ピクルス・スライスの大きなもの載せてもらう。そして、マスタードをたっぷり付けたものを注文する。そして、かぶりつく。その美味しさといったらたまらなくなっていた。
そのうち日本に帰ったが、今度困ったことはそういうハンバーガーが日本では食べられないということであった。マクドナルド、ロッテリア、モス・バーガーなどは全然味が違う、異質のものであった。そういう状態がずっと続いていた。時々アメリカにもいったが、ホテルのレストランでハンバーガーを食べてもなにか上品で、あのピクルス、マスタードたっぷりのハンバーガーとは違う。あの30年前のハンバーガーはもう食べられないのかと思っていた。

 そういうときに「Speak Easy」に出会ったのであった。オニオン・スライスはなかったものの、肉たっぷりのハンバーガーにマスタードたっぷりつけて食べる感触はなんともいえなかった。そして、フライド・ポテト(カナダでは「フレンチ・フライ」という)にもちゃんとケチャップ(トマト・ケチャップとはいわない)が用意されていた。そして、思い出した昔の味と思い出しながら美味しくいただいた。願わくは、オニオン・スライスと大きいピクルス・スライス(2枚)があったなら。

 その店は、店のつくりがアメリカの雰囲気をかもし出すように作られていた。お店のいたるところに英語があり、何のパンフレットかしらないが英語で書いたものがそこらかしこにある。またメニュー自体が英語である(もちろん日本語訳もついている)。玄関には外国人を模った像が一つ置いてあり、入るとき出るときにびっくりする。このお店の近くには国際交流センターがあるせいか、このあたりは外国の人を頻繁にみかける。昨日も客として2人ほど外国人がいて、彼らもアット・ホームな感じで話をしていた。まるで異国に来たという雰囲気であった。このお店については、「speak easy 京都」でグーグル検索したら何人かの人の書き込みがあった。そちらも参考にしてもらえればと思う。写真も付いたものもあった。

 こうして、昨日、北山通りから少し外れたところに異国風情のお店を発見した。以前にSpeak Easyをみたときに客がいなかったのは、食事時間以外の時に見たので客がいなかったのだった。このあたりは昼間の食事時間以外はあまり客はいないのである。この店は朝からオープンしていてブレック・ファストを提供している。これもアメリカ風のメニューである。

 これからはこの店がやみつきになりそうである。このお店の近辺に他にもパスタやさんで異国風情のお店が近くにある。このお店の紹介もしたいのであるが、また別の機会にしたい。

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2005年10月19日 (水)

京都アートフリーマーケットに行ってみて

 「京都アートフリーマーケット2005秋期」が10月14日(金)~16日(日)の間、京都文化博物館別館などで開かれ16日に行ってみた。

 このマーケットは、各団体、各学校、京都府などからなる京都アートフリーマーケット実行委員会事務局というところが主催したもので、趣旨としては、「京都に活動の本拠を置く若手作家、職人の育成・支援を目的として、これら作家や職人が作品を自由に展示販売することのできるアートフリーマーケットを開催します」ということであった。

 たしか、このマーケットは今回が初めての開催で、京都府の府民新聞の片隅に小さく宣伝してあり、どんなことをやっているのか、物見遊山で行くことにした。「若手作家・職人のアートを展示・販売」となっていたので、結構「販売」が強調されている面もあり、また、ローカルのテレビ・ニュースで私のあまり興味のないものが取り上げられていたので、あまり期待をかけずに行ってみた。

 ブースとしては約84個あり、1つのブースで複数の作家の作品を展示しているものもあり、参加作家としては140近くあったのではないかと思われる。たくさんのブースが所狭しと並んでいて、日曜日のせいか客もたくさんいた。アートとしては、陶芸、日本画、染織、書、革、漆芸、ガラス、イラストなど多種多様に亘っていた。新進若手作家というだけに作家は若い人がほとんどであった。

 近年、京都でも町から個人のお店がだんだんなくなっていて、もしあっても大量販売店での単に安価なものとかか画一的なものしかなく、この京都も過去の文化にのみ埋没しているのではないか、そして日常の生活では文化・アートを感ずる面が少なくなっていて、生活に潤いがなくなってきているのではないか、という寂しい思いの毎日であった。百貨店などにおいてある名前の通ったアートはそれはそれでよいのであるが、そういうものはどこか保守的な感じがし、また、お高くとまった感じがしており、かつ、一般的にはとてつもなく高価である。したがって、私としてはもっと新しい感覚の「面白いアート」をどうしても求めてしまう。そういう気持ちを抱きながら、ひとつずつブースを廻ってみた。その結果、驚くなかれ、結構、食指が動くものが多いではないか。それぞれの分野でフレッシュな感覚で作品を作っていて、どれもこれも面白い作品が多かった。

 陶器、とくに、皿、珈琲カップなど、一見なんとはないのではないが、百貨店、陶器店で見るものとはどこか違うものがいくつもおいてある。ちょっとしたことなのであろうが、どこか違う。珈琲カップについては約10年前に購入したものを今でも愛用しているが、その後、なかなかこれはというものは出会わなかった。そういうものでも今回マーケットで面白いものがさっと見つけられ、ほっとして一個購入してしまった。

 30年前に私はカナダに滞在していたことがある。有名な文化人はほとんどいなくて文化などない国である、とまわりの日本人はカナダをばかにしていた。しかし、日本とは違って自由奔放な面白さを感ずる作品・日常品を作製して展示・販売していたのには正直うらやましかった。とくに、その当時のケベック市の街角ギャラリー、トロント市のヨークビル通りなどは印象深いところであった。今はどうなっているのであろうか。また、画家・作家についてmask_DSC_0037a も、カナダには有名な人はいないが、トロント近辺に住んでいるのイロコイ族の現代アート、魔よけのマスク(現代のもの)については、その民族のもつ精神を反映したユニークなもので、私もなんとか知人に頼み込みカナダみやげに購入し、この30年間部屋に飾ってある(写真参考)。simon_DSC_0031a

 今回のマーケットでは楽しいものがたくさんあり、最初のアートフリーマーケットではあったが大成功だと思った。いろんなものに食指が動いたのであったが、今回は購入するのはわずかに止めた。しかし、購入したものは本当に気に入った感じで、つい買ってしまった珈琲カップはその優しい風合いが気に入り、いままで愛用していたものに取ってかわってしまっている。また、家内は絹ストールを購入したのだが、家へ持ち帰り早速ファッションショーである。そして、すっかりそのストールが気にいってしまったようである。

 次は半年後に開催されるようであるが半年とは言わず、もっと頻繁に開催されればと思う。また、ひとりあたりのブースが広くなって販売品目が多くなれば、計画的により多くのものを購入してもよいと思っている。

 最後に、今回の作家は若い人が多かったが、シニア、定年退職者、早期退職者など、いろんな方面での活躍しておられるかたがたのマーケット参加も期待したいものだ。そして、新進作家としてのシニア・パワーを見てみたいものだ。

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2005年10月13日 (木)

引越ししていつも聞かれる質問

 今年5月に新居に引越して5ヶ月たったが、いつも聞かれる質問が2つある。ひとつは商品の配達時に家の場所を聞かれることと、もうひとつは電話番号のことである。

 まず、配達時に家の場所を聞かれることであるが、世の中には詳細な地図が販売されており、居住者の苗字を地図に割り当てているものがある。どこがどう販売しているものか知らないが。問題はその地図に我が家が載っていないことである。新規造成地ではなく、土地の区画は以前からあったが、しばらくの間空き家同然だったので、地図上では我が家には苗字を割り当ててなく空白になっているのである。

 配達を依頼した場合にはいつも電話がかかってくる。ひどいのになると、どういう家ですか、アパートですか、マンションですか、一戸建てですかといきなり家の素性を詳細に聞いてきてびっくりする。何を知りたいのかと思ってしまう。個人情報保護法が施行されているにそういう個人情報をなぜ聞いてくるのかとその感覚を疑ったりもする。いぶかしがられているという気持ちになりいやな思いもしたこともあった。そのうち、配達する人も大変なのだとわかり、そういう質問に対しては、お隣さんが何々さん、反対側のお隣さんが何々さん、お向かいが何々さんと、周辺の何軒かの苗字を連呼するようになった。それで初めてわかってくれる人も多く面倒なものだ。引越しして何ヶ月もたつのにまだ地図が更新されないのか、いつになったら更新してくれるのか、と思いながらもこれも個人情報なので我慢するしかないと思ったりもする。個人情報保護法が施行されたので、もし今後このような地図は販売されない、あるいは更新されないとなるとずっとこのままで、やはり面倒だと思ったりもする。

 それに拍車をかけて問題なのは、住所の番地では家が同定しにくいということである。つまり、番地の順番には家が並んでいないということである。なぜそうなるのか、さっぱりわからないが、太平洋戦争で空襲を受けていない町なので更地にはならなかったのも原因のひとつかもしれない。こういう場合は、苗字を記載した地図に同時に番地の数字も記載してくれるほうがずっとわかりやすいと思う。なぜ記載されていないのかも不思議に思われる。1970年代にカナダのトロントに住んだことがある。そこでは家自体に番地が記載してある。どの家でも家の外壁に番地を書いたものを貼り付けてある。その数字だけ辿っていけば間違うことなく住所にかいてある家にたどりつけるという次第だ。日本でも法律で義務づけたらどうだろうかと思う。国会議員や地方議員は外国視察がお好きなようであるが、そういうことを勉強することはないのであろうか。日本もIT化にともない生活圏が拡大しているので、そういうことも真剣に考える必要がでてくるのではなかろうか。

 そういうときに、先日うまく家を探し当ててくる配達担当の赤帽さんがいた。地図を見たら私の苗字がなかったので、空白のところがそうではなかろうかと思ってきたら、表札に私の苗字がかいてあり辿りついた、ということである。日本に住む限りこれぐらいの推理を働かせてないと商売にならない、ということであろうか。こういう賢い赤帽さんがいてほっとしたものである。

 もうひとつの受ける質問は電話番号である。新居に引越しするのを機会に、固定電話は契約しないでひかり電話(NTTの光ファイバー網を使ったIP電話)にしようと考えていた。5月が引越しであり、その当時光ファイバーは開通していたが、ひかり電話が使用可能になるのはもうすこし遅くなるということであった。その間はプロバイダー提供のIP電話を使用した。6月下旬になり、無事ひかり電話が開通した。

 ひかり電話では市外局番は固定電話の市外局番と同じものが使えるので安心していた。しかし、近くのお店で物を購入したときや、何か連絡をしてもらうのにひかり電話の番号を伝えると必ずといってよいほど質問が来る。市内局番が○○○とはどうしてですか、この地域では市内局番はだいたい△△△となっているのですが、という質問である。ひかり電話にした時に△△△の市内局番はもらえなかったのですと説明すると納得してもらえる。しかし、毎回その説明をするのが面倒なのである。固定電話を契約しているときに、固定電話を廃止しひかり電話にする、というのであれば、固定電話で使用していた市内局番や4桁の電話番号をそのまま継続してひかり電話でも使用できるが、固定電話を契約せずにひかり電話をつけた場合は固定電話風の市内局番がもらえないのだった。説明すると納得してくれるのでややこしくはないのであるが、商売する人はこういうことまで気にしているのか、と当たり前とはいえ、直接には客相手の商売をしていなかったものとしては感心する面もある。

 そういう話とは反対の話も2つほど経験した。ひかり電話が開通するまでプロバイダーのIP電話を利用していたときのことである。そのIP電話の番号は市外局番に相当する部分が050となっている。文房具の通信販売のサイトで生じたトラブルである。自宅電話番号を入力する画面で050から始まる番号を入力したが拒絶されて注文すら受け付けてくれなかった。今でも固定電話に拘る会社とはどういうものかと思ったが、商売したくないらしい会社なのでそのままにした。ひかり電話にしてから再びそのサイトにアクセスしてみた。自宅電話番号にひかり電話番号を入力した。今度は注文が通った。ひかり電話もIP電話なのになぜ今度はOKなのかという感じを持った。相変わらず変な会社であることは確かである。

 もうひとつのケースは、5月か6月にある携帯会社に住所変更の登録をしたときのことである。電話番号の変更も必要になるので自宅電話番号としてIP電話番号を伝えたら、それダメとのこと。固定電話の番号でなければいけないらしい。自宅にはそのIP電話番号しかないと話してもダメの一本やりで、会社の電話番号とか何かないかということであった。そこで、もうすぐ退職するがその会社の電話番号でもよいかというとなぜかOKになった。固定電話神話の虜になっている携帯会社、ということで、携帯会社としては自立できない会社だなと思った。落ち目の会社になるしかない会社だなと思った。実際その会社の業績は良くない。

 以上、引越ししてのいくつかの話題である。いくつか理解に苦しむことがあり、ささやかなものでもこういう改革が出来ないといずれ取り残されているのであろうなと思った。

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2005年10月 5日 (水)

「社内運動会 リバイバル」とグローバリズム

 10月3日付の朝日新聞の記事に「社内運動会 リバイバル」という記事があった。以下、一部転載する。

 スポーツの秋を迎え、「経費や手間がかかる」「若手が参加しない」などの理由ですたれる一方だった社内運動会を復活する動きが、一部の企業で出ている。人員整理やパート・派遣社員の増加など、雇用環境の変化で薄れた職場の連帯感を取り戻そうという狙いがあるようだ。

という記事である。超一流企業のひとつの事業部での動きを始め3つの会社の動きを紹介している。いずれも、運動会の復活、運動会の新規開催の話題であり、職場の連帯感を取り戻そうという狙いを強調している。しかし、これの動きは、記事で書いてあるように職場の連帯感を取り戻すことになるのか、文面どおり受け取ることには無理があると感じた。

 この10年以上の間に日本ではグローバリズムが進行し社会構造は変わった。2極化が進み、勝ち組、負け組がでてきている。そして、それとともに、新聞記事の中でも触れているように、運動会のみならず、社内の親睦行事は「すたれる一方」になった。

 私の知っている会社の場合10年前に運動会が行なわれたのが最後ということであった。そして、その後クリスマス・パーティー、ソフトボール大会、なども次々に中止された。新人歓迎パーティもなくなった。かろうじて、ボーリング大会がひそやかに行なわれている状況であるとか。中止の原因は会社の中の雰囲気、若いものの意識が変わってきたからということであり、それはそれで時代の当然の変化として考えていた。しかし、いま考えてみると、グローバリズムがその会社の中でひそかに進展していっていたことに気がついた。そして、グローバリズムが進展と歩調を合わせるようにその会社の福祉関係も衰退していっていた。こういう状況はその会社の特殊な話ではなく一般的なものであろう。そういうときに、「社内運動会 リバイバル」という時代逆行的な会社の動きを紹介した新聞記事である。なぜ日本を代表する超大企業が、一部の事業部だけとはいえ、福祉関係の運動会を復活させたのであろうか。

 グローバリズムの問題点として、資本の論理の必然として社会が2極化し、その2極化がどんどん進展していく、その結果、社会のひずみが出てきて社会の喪失が起こってくる。そして、実際そこで仕事を行なっている人々は非人間的に仕事を強制され楽しくもない仕事に対して奴隷のごとく黙々と働かねばなくなる。そして少しでも文句でも言おうものなら負け組へと簡単に持っていかれ、リストラあるいは早期退職の対象になってしまう。

 そういう資本の論理が透徹しつつある現代において、今回の運動会の復活は、本来のグローバリズムとは相容れなくて、違和感を感ぜざるを得ないのである。そのことをどう考えたらよいだろうか。答えは明らかである。すなわち、このような福祉行事も業務のひとつであろう。本当の意味での福祉行事ではなかろう。トップダウン的な会社隷属型のレクリエーションであり、ただ働きの「業務」が増えるだけであろう。新聞記事を読む限りそういう印象を受ける。もし本当の意味での福祉行事とした場合には時代を逆行させたことになり、資本の論理と会わなくなる。運動会は、グローバリズムの2極化、そして、負け犬に対する放置、という社会状況を解決しようとしているものとは思われない。形の上では、派遣社員・パートも含めて、とは謳っているが。こういう見方に対して実際の参加者からはそうではない、楽しいものであった、という反論があるかもしれない。しかし、資本の論理からみるとそういう意見はそのままストレートには解釈しがたいものである。

 近年、グローバリズムの対抗軸としていくつかの意見が見られる。(1) 企業を超え国家を超えてすべての「他者」が団結することを求める考え方(参考「マルクスだったらこう考える)、(2) マルチチュード(多種多様な差違をもった多数者、自主的な多数派)による生産的な協働を主張する考え方(参考「<帝国> 」及びレビュー)、(3) かけがえのない自己を大切にし多様性を肯定し「内的成長」をもたらすコミュニティの再創造の考え方(参考「生きる意味 )、などが思い浮かぶ。しかし、まだ、それらが政治行動、企業活動、地域社会・コミュニティ活動としては十分には成熟していないと思われる。グローバリズムによって出来た新しい「帝国」には対抗できていない。グローバリズムは社会の崩壊をもたらしつつあることは確かであり、それに対抗するような運動が今後出てきてほしいものだ。

 団塊の世代の定年退職が目前に迫っている。若いときは理想に燃えて一部かもしれないが学生運動もした世代である。定年退職を前にして経産省主導で団塊の世代の技術をデータベースに入力されるようなシステムをつくるというあつかましい動きがあり、団塊の世代は利用されるところは利用され、はいポイと捨てられつつある。しかし、こうした社会の変革の中で、人生の最終章・第二の人生としてもうひと仕事やることがあるのではなかろうか。

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2005年10月 2日 (日)

秘太刀 馬の骨(最終回)の感想

 NHKTV「秘太刀 馬の骨」6回シリーズをみた。こうやって時代劇を熱を入れて見るのもNHKの「蝉しぐれ」や映画の「たそがれ清兵衛」以来のことである。「蝉しぐれ」についてもわくわくしてみていた。主役の主人公によくもぴったりした俳優をあてたものだと感心していた。そして、今回もその内野聖陽が「秘太刀 馬の骨」で主役なので期待も高まった。

 5回までは秘太刀の遣い手探しのちゃんばらでそれなりに楽しんできた。最終回にどう話は展開していくかわからないままでいた。途中で原作も購入したが放映前に家内の方から遣い手をばらすと離婚だと宣言されてしまい封印した。

 最終回の日、そのあらすじが新聞にででていたがなかなか筋をおっかけてみるのがしんどいと思っていた。そして、45分弱のなかで十分話がつくものであろかと心配しながら見始めた・・・・・・・それなりに楽しみながらみたが、ついに秘太刀の遣い手が登場し難敵の用心棒に対して馬の骨を遣う。

 そこまでは良かった。しかしそのあとが脚本としてどうもいただけなかった。銀次郎は計6名と申しあわせ試合を行なった。そのためにかなり努力している。裏情報も集めそれを突きつけて嫌がる相手とも試合をするように誘い出している。自らもいくつもの痛手を受けている。木刀での試合で間違ったら死ぬかもしれないところまでやっている(原作はどうなっているか知らないが)。

 そういう経緯のあとで秘太刀の遣い手を見た。そして、面の割れた遣い手と対面し睨みあう。そこまでやっていざ対決か、というところになったとき、対決はなしで終わってしまう。そのあとこの番組を消化不良に陥いらせたあほらしいシーンとなる。冷や水を浴びせられた感じの言葉が続く。銀次郎の言葉として引用すると「幻だ」「俺たちは幻をみた」「秘太刀を受け継いだものはおらぬ」「闇に帰ったのだ、馬の骨は」「二度と現れぬ」と、畳み込んでしまうようなセリフが続きメインの話は終了する。どこか流れとして違和感がある。本当に消化不良である。もし有料サイトであれば金返せといいたくもなろう(NHKは受信料の対価としてのフィードバックをとらないのがそもそもおかしい)。

 そこで、原本で、遣い手の現れる箇所のみ読んで見た。原本では、遣い手の面は最後まで割れなかった。割れないときに銀次郎のように「あれは幻だ」というのであればわかりやすい。面がわれたあとで「あれは幻だ」というセリフのばかばかしさ。原本ではそもそも銀次郎は遣い手が出現する場面にはいない。そのほうが、遣い手のことを半次郎から聞いたとしても「あれは幻だ」といってもおかしくはない。しかし原本では銀次郎は遣い手の現れたことすらしらない。半次郎が現れたことを握りつぶしてしまったとしている。このほうが本当の意味で 「闇に帰ったのだ、馬の骨は」という言葉がふさわしい。原本では「金返せ」とはならない。一般に映画・TVは原本よりは劣るということは言い古されたことばがあるが、今回改めてそれを感じた。

 そして、蛇足ながら、6回目の最後がやはり蛇足である。なくても良いか、あってもごく短くするべきであろう。無内容の蛇足が10-15分間続くのは、消化不良に陥っているのをさらにむかつかせることになってしまった。こういう蛇足は、「たそがれ清兵衛」のときも感じた。岸恵子の回顧シーンがそれである。脚色した人は違うものの映像化するどうしてこうも蛇足がつくのであろうか。そもそも藤沢周平の小説には蛇足がないから好きなのである。蛇足をつければ台無しになってしまう。

 とはいうものの今回の「秘太刀 馬の骨」も十分楽しませてもらったことはありがたい。今後も藤沢周平ものを制作してください。そして、いま、わが身は定年まであと数年あったが早期退職しいち早く老後の心境にあるので「三屋清左衛門残日録」をもう一度みたい。DVDでの販売はされているが再放送を期待している。

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2005年9月26日 (月)

新居のグリーンカーテン化とサル出没情報

 今年3月新居が完成し、5月連休に引越してきた。その経緯については「とんぼナックの新居建築の記」に記載した。

 新居の建築で大切にしたのは、高断熱・高気密の家ということであった。地元の工務店と相談していたとき、「次世代省エネ基準」をクリアすることをお願いしたのに対してどこの工務店も相手にしてくれなかった。「公庫基準」はクリアするのがせいぜいで、その間の等級である「新省エネ基準」すら満たしてくれなかった。大手ハウスメーカーの中でもせいぜい新省エネ基準で次世代省エネ基準は無理だというところもあった。結果的に、次世代省エネ基準を満たしていないところはご遠慮願うことになったが、こうして新築した次世代省エネ基準の家がこの夏快適であったかどうか、が一番心配なところであった。今年の夏は暑い夏ではあったが、最高気温も京都にしては36℃台どまりで、覚悟していた38℃までは至らなかった。家の中も高断熱・高気密であるせいか室内温度はさほど変化がなく、外気温が36℃台であっても壁焼けすることもなく、したがって、夕方のある我慢できない暑苦しさ(室内での話)を経験することもなく彼岸を迎えた。そしてクーラーをつけることほとんどなかった(寝室は別である)。引越しする前にすんでいた家では「とんぼナックの新居建築の記」に記載したように毎年暑さでうだっていたのとは大違いであった。

これですべてが万々歳であったかというと、すこし心配がある。外気温がもう一段高かった場合は部屋によっては暑苦しさを感じていたと思われる。どういうことかというと、敷地内には何本もの植木が植わっている。これは30年以上前から植わっているもので、モクレンにいたっては相当の高木になってきていた。そういう植木が近くにある部屋と、近くに植木がない部屋とで凌ぎやすさがどうやら違いそうなのである。近くに植木がない部屋では外気温が38℃にもなるとそうとか暑苦しくなりそうだ。

 今年の夏もニュースその他で、都会のヒートアイランド現象の対策としてグリーンのカーテン化の試みが報道されていた。グリーンのカーテンとはつる性植物のカーテンのことらしい。近所を見渡すとそういうカーテンを儲けている家もあった。しかし、そういうカーテンについては来年また考えるとして、近くに植木がない部屋については、一種のグリーンのカーテン化として早く植樹をしなければ、ということになった。彼岸過ぎるまでは植樹には適さないし、園芸店に出向いてもめぼしいものはおいていない。したがって、彼岸まで待って植木を購入した。造園家であったらどこに何を植えてということをいろいろ考えるのであろうが、園芸店においてあるもので、適当に、本当に適当に数本選んだ。それが、ハナミズキ、ヨシノザクラ、プルーンとビックリグミであった。なんという組み合わせか、まあそれは言わないことにした。このように第一弾の手当ては終了した。第二弾はもともと植えたかったウメの木の物色して植えようと思っている。今回は入手出来なかったのだった。

 こうして植木もそろった。敷地内に少しではあるが設けていた家庭菜園も9月のはじめから4種類のタネをまき本葉がそろそろ出てきている。生まれてこの年(57歳近く)になるまで全く菜園をしたことはない全くの「若葉マーク」である。どうなることか。全くの我流で、ときどき本とつきあわせてやっているが、無事育ってくれることかどうか。失敗談でもあればまたブログのネタになるのであろう。

 そういう家庭菜園(以下、畑と書く)で双葉、本葉がでてくるのを楽しみにしているのであるが、この1ヶ月の間、2回程度、畑が荒らされているのである。最初の時はネコが畑を歩いたのかなというような足跡であった。しかし、先日の分は違った。足跡ははっきりとはわからないのであるが、畑の盛り土がところどころ崩されている。発芽して双葉が大きくなったところはごっそりと崩されていた。ネコにしてはいたずらがひどい感じであった。気持ちが悪いが我慢してそのままにしていた。

 数日後、近くの理髪店できいた話。最近、朝6時ごろサルが10-20匹出没したという話であった。子を抱いたサルもいたとか。場所的に比叡山に近いことからサルの出没はありうることと思っていた。時期的にもサルの出没時期と畑が荒らされていた時間が近いのである。さては我が家にもサルが出没したのかのだろうか。引越してくるまで知らなかったが、こういうことは年に数回はあるらしい。我が家より500メートルはなれた有名なお寺のあたりはしょっちゅう出没しているそうで、そのあたりの畑ではサルとの格闘しているそうである。京都の街中ではあるが、とうとうサルの話が現実的になってきた。家内からは畑あらしの犯人をみつけるようにとの命令が出いている。ロボットで、侵入者がいたら通知してくれるというものが販売されたか、販売されるらしい。そういうものが今あればと思ってしまう。

 そういう騒ぎはあるものの「若葉マーク」の私としては、畑の苗が育ってくれるのをただただ祈っている。そして、植樹した木が大きくなり、サクラ・ハナミズキが咲き、グミに実がつくことを。

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2005年9月20日 (火)

住所・氏名をしゃべるインコのチロたん

 この殺伐とした世の中で、清涼飲料水的なニュースを今やっていましたので早速報告します。住所・氏名をしゃべる「チロたん」です。

 ある人のお宅にインコが入ってきたとか。インコがしゃべっている鳴き声から「モリオカシ」が聞こえてきた。そのお宅の人がもっと聞いてやろうとしてきいていたら「コンヤチョウ」とこえた。そして、最後は「トダ チロタン」と聞こえたそうである(本当はもっと詳細な住所をインコはしゃべったらしいが、それはニュースでは公開されなかった)。それをもとに、1キロはなれた持ち主に無事帰ったそうである。インコの飼い主もあきらめていたとか。飼い主によると、ここ一年間は家では住所をしゃべっていないそうである。それが、迷子になったら突然しゃべったとか。飼い主はそれに驚いていていた。また、インコが戻ってきたとき「チロたん」と呼んだらほんとうにうれしそうだったとか。

  約25年以上前にカナダ・トロントに住んでいたことがある。そのときにもいなくなったネコだったかイヌだったか忘れたが、聞いたこともないような距離をひとりでひたすら走って、1週間ぐらいして飼い主のところまで帰ったきた、ということが新聞などで話題になったものだった。

 動物でさえ本能的に飼い主を覚えている。家族愛がある。また、象も仲間を助けるし、集団で子育てをする動物もいる。ほほえましいといえば当然ではあろが、今の社会を見ていて、人とのギャップの大きさに唖然とざるをえない。

 この人の世の中、リストラだとか、あるいは(定年、早期退職制といえば聞こえましだか、その実は)クビキリ、そして自殺、など、単語を拾っただけでも殺伐としている。そして、困ったことにそれが当然のごとく何も疑問視されずに、世の中が「粛々と」進行している。そして、会社の世界だけではなく、刺客(シカクだかシキャクだかわからないが)とかいう言葉が政治の世界で飛び交いこれがまともなお国の状況かと思ってしまう。会社にしろ、政治の世界にしろ、戦国時代の復活である。犯罪でなければ何でもあり、という風潮になっている。そして、そういうことができる人こそ「真の」リーダーだという意見には唖然とする。今の日本では、リーダーも含め本能までも蝕まれている。

 この殺伐とした政治・社会の世相のなかで、本当にほほえましいチロたんでした。

 チロたんがしゃべった圧巻の言葉は「チロたんはオリコウさん」でした。

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2005年9月17日 (土)

ハリケーン「カトリーナ」と米国の「落ちこぼれ防止法」

 ハリケーン「カトリーナ」の襲撃から半月経ったが、まだ被害の全貌が見えてこない。しかし、米国の政治・行政の酷さは、『ハリケーン「カトリーナ」と伊勢湾台風』、『カトリーナと大統領選でのルイジアナ州』で書いたように、残念ながら予測した範囲内で、その酷さを露呈してしまった。また、9月9日号の科学誌Scienceにも記事(1656頁)があるように、科学者たちの心配がハリケーン洪水で実際のものになったことを報じている。カテゴリー3のハリケーンでも洪水は起こる可能性を指摘している(「カトリーナ」はカテゴリー5にまで発達した)。また、ルイジアナ州の湿地帯を救うという140億ドル(1.6兆円)のプロシェクトを1997年以来立てているが、それが予算を獲得したことがないし、いまだに計画以上の段階に至ったことはない、ということである。ブッシュ大統領もしぶしぶ失態を認めざるを得なくなったようである。そして、16日のニュースではブッシュ大統領は「世界がかつて見たことのないような大規模な復興努力がなされるだろう」と強調したということである。この復興努力が「カトリーナ」被害にだけに焦点を当てたものではなくグローバリズムに対する新しい考えに基づいた米国の政策を行なうことを主張したものであれば非常によいが、どうやらそうではなさそうなのでまた悲劇の歴史が繰り返されることを心配する。本来、米国流のグローバリズムからすれば、黒人の多い地区、弱者に対する行政、予算措置などは後回しにならざるを得ないのであり、グローバリズムの流れを作っている米国内では、当然負け犬はますます負け犬になるだけである。負け犬を救う政治を行なえば、それ自身が反グローバリズムになり、自己撞着になるのである。政治のマインド自体がまだ負け犬を救うという感覚には至っていないような印象を受れている。

 そういう風潮に拍車をかけている米国内の政治について、雑誌「ビッグイシュー日本版」35号(9月15日)で取り上げていたので概略を紹介したい。「新兵リクルートを支える米国の『落ちこぼれ防止法』」というタイトルの記事である。2002年に米国大統領の署名で成立したものであり以下抜粋・要約する。

 「落ちこぼれ防止法」は、すべての州で学力テストを行い、テスト結果が基準に満たない高校は、経営を民間委託され、私企業の投資対象として自由市場へと押し出される。シカゴのある学校では、生徒の92%が生活保護を受けている。そのような学校や黒人およびラテンアメリカ系住民が多い貧困地域にある資本不足の学校は真っ先にその対象となっている。

 この法の中には、軍の新兵募集(リクルート)目的のために生徒の個人情報を取得する権利が認められており、情報提供に従わない学校は連邦の補助を受けられない、という条項があり、その条項が論争を呼んでいるということである。リクルーターは生徒の自宅を飛び込み訪問でき、自宅に募集のダイレクトメールを送ることができ、学校にほとんど何の拘束もなく出入りすることができる。そして、この法が若者に軍隊の価値を専断する手助けをするという役割を担っており、新兵採用実績が目標を下回っている米国にとって、ブッシュの「不朽の自由」の拡大を実現に向けて新兵を継続的に供給するための新しい仕組みになっている。そして、高校生の20万人が予備兵下士官訓練プログラムに参加している。軍では、より多くのインセンティブを提供している。

 そして、戦争を始めるのは大概、裕福な白人で、その恩恵を受けるのは社会のほんの一握りのエリートだけなのに、戦うのは貧しい労働者階級の若者だ、という声も掲載している。

 上記のシカゴの学校は、なんと海軍に譲渡されたとか。そして、企業国家アメリカは貧困家庭の若者を軍隊に入れる努力にいっそう拍車をかけつつある。反対活動も活発になっている。キャンパス反戦ネットワークをもとに全米に抗議行動が広がっている。

 以上がその抜粋・要約である。これが米国流グローバリズムの行なう「弱者救済方法」であるかと唖然としたものである。負け犬を救うとしながら、その実際は米国帝国主義の尖兵にしようとするなんともいえない法があったものである。グローバリズムの負け犬の救済方法については、私もいくつか論者の意見も読んだことがある。みんな深刻にこの問題を捉え、何とか提案をしている。しかし、これはという案がないのがこの問題の難しいところである。ところが、この「落ちこぼれ防止法」は負け犬をグローバリズムの中に取り込み、イラク・アフガニスタンに見られるような米国帝国主義の中に負け犬のまま巻き込もうというなんとも言いようのない悪法になってはいないだろうか。こういう法案に署名したブッシュ大統領が、世界がかつて見たことのないような大規模なハリケーン被害復興努力がなされるだろう、と演説したところで企業国家アメリカとしてのやり方でしかないだろうし、グローバリズムの矛盾をなんら解決するものではないであろう。

 ところで、日本のことをふりかえってみれば、今回の総選挙での各党の主張をきいていても将来が心配な状況である。自民党以外のほとんどの党は、負け犬、社会的弱者を何とかして社会参加できる方向での主張をしていたが、残念ながら具体的政策の主張については寡聞ながら聞いたことがない。自民党に至っては、党首自身が「負け犬がいてもそういうのはどうでもよく、国民の平均が良くなったらよいではないか」というような内容で憲法25条 (すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する) 違反とも受け取れる演説を平気で行っていたのには驚いてしまった。負け犬の範疇に入るも自民党に投票した形跡が感じられ、なんともこの国はどうなったのであろうかと思ったものだ。大統領選挙でのルイジアナ州と同じではなかろうか。そして、自民党が「大勝」したらしいので、今後のグローバリズムの更なる進展、そして社会の二極化、社会の不安定さ、矛盾は増していくと予測せざるを得ないのが残念である。そして、日本にも、米国の「落ちこぼれ防止法」に似たものが出来かねない、という心配はますます募るのである。

 そういう中で米国内の動きとして若干救われる思いがすることがある。スタンフォード大のアッシュ教授がガーディアン誌に書いた記事(8月25日)を引用すると、「先見の明のあるワシントンの人は、米国の強力なパワーが衰えた時でも自由民主主義の利益を保護する国際的秩序を形成し、インド、中国のような台頭しているパワー国を激励しようとする長期的のアメリカの戦略を作成することを考え始めている」と述べている。明らかにグローバリズムに基づく米国帝国主義、パックス・アメリカーナとは違う立場での新秩序構築の努力かすでに始まっていると見られる。それがどういうものであるか、次期大統領選挙までには意味のあるものになってほしいと願うばかりだ。

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2005年9月11日 (日)

早期退職後のささやかな身体の変調

 少し私自身のことも書こうかと思う。今年の7月、定年を3年残して早期退職した。退職後2ヶ月弱経過したことになる。

 私のホームページ中の「とんぼナックのエッセイ」で「血圧と町のお医者さん」のタイトルで書いたが、ある医院の先生によると退職後は血圧が下がるとか。会社生活は精神的ストレスが多いので、悠々自適の生活に入れば、下がるらしい。実際に下がるのか興味津々であった。当然降圧剤は飲み続けているわけで、その中で血圧はどうなるか、という話である。結果はどうかというと話は微妙になるわけであるが、平均したところ若干下がったかなという感じは確かにする。その中で、少しびっくりするのは、過去に経験したことのない低い数値(最低値)が2週間くらい続いたことである。その後少し上がっていき、このところ、またその最低値に近づきつつある。

 とくに生活習慣病の対策として、退職後、アルコールを減らすとか、減塩食事に気をつけるとか、運動をするとか、ということについては、気をつけていなかったのに、過去に経験したことのない低い数値が出ていることは確かである。

 早期退職後の身体の変調としては血圧以外も事例がいくつかあるようである。

 ひとつは、頭髪のことである。私は禿ではなくいちおうふさふさした頭髪をしている。このところ白髪がますます増えてきたかなという感じはしているものの、全体としてみれば、黒い髪である頭髪は正常状態でも一日に何本か、あるいは、何十本か、抜けているそうである。しかし、退職後は、その脱毛の数が激減しているそうである。家内が指摘したのであるが枕につく脱毛の数が減っているということである。私としては全く気づいていなかったことでこういうことはありうるのだろかと思ったものだった。

 この脱毛の減少が退職後の精神的ストレスの減弱と関係があるのかどうか定かではない。しかし、精神的ストレスで脱毛が亢進することもあるらしく、その典型例としては円形脱毛症があるらしい。

 もうひとつの事例は耳垢である。耳垢は、耳垢腺からの脂肪性分泌物と脱落した耳の皮膚の一部(剥離脱落した上皮や角化物。医学用語としては正確ではないと思うが我が家ではこのことをEpidermal Sheet <エピダーマル・シート> と呼んでいる)とからなるらしい。退職以前は、エピダーマル・シートが非常に多かった。退職後このエピダーマル・シートが激減している。このことも退職後の精神的ストレスの減弱と関係するのかどうかははっきりしない。耳垢と精神的ストレスについて考察したものはあまりない。インターネットで検索しても出てこない。しかし、エピダーマル・シートも皮膚の一部である。アトピー性皮膚炎とストレスの間に切っても切れない関係があるという。耳垢と精神的ストレスも調べたら証明されるような気がする。

 最後の事例は、毛穴のことである。退職前に長年お世話になっている理髪店に行った。そこのおばさんにも散髪してもらっているのであるが、この10年近くはやってもらっていなかった。久しぶりでやってもらった。散髪そのものはいつも通りであったが、今回おばさんは途中で脂肪吸引を行った。私にとっても脂肪吸引は初めてのことであった。散髪の終わったあとで、おばさん曰く「毛穴が広がっていたので。以前はつるつるだったのに。あれっと思ったので」ということだった。退職前の毛穴のひろがりは指摘されるまでもなく私自身もうすうす感じていたことである。少々醜くなったな、なぜかな、と思っていたところであった。退職後はなぜか、毛穴のことは気になっていなかった。理髪店のおばさんにしてきされたな、ということをある日思い出し、しげしげと顔をみても、退職前のような毛穴ではなくなっている、という感じがする。毛穴の広がりも改善されたような感じがしている。また、そのおばさんに散髪してもらうとはっきりするのであるが。

 このことも精神的ストレスと関係あるのであろうか。ストレスにより皮脂腺の活動が活発になり、皮脂の分泌量が多くなり、一部毛穴に残留した皮脂が固脂を形成し毛穴を詰める、という話もあるようだ。耳垢のこととどこか似ている。

 以上が、退職後に体験したささやかな身体変調である。血圧は別にしても、それ以外の事例はいずれも皮膚関係の話である。頭髪も皮膚の一部である。耳垢も皮脂腺と皮膚そのものである。毛穴の事例も皮脂腺である。皮膚は神経系の仕組みがかなり備わっているユニークな器官であるといえるようである。会社生活をしていたときは、ストレスで知らず知らずに皮膚に変調をきたしていたのであろう。退職後はそれが改善されたのかもしれない。

 もし今度就職先を探すとなると、また、ストレスの多い生活を思い出すとうんざりする。それが、身体上の変化に現れていることを改めて体感したことで、今後の再就職は慎重にならざるを得ない。といっても、幸か不幸か60歳まで数年のこの年での再就職なんかあるはずがない。

 私のことはともかく、みんなこういうストレスの中で生活しなければいけない。もっともっともっと厳しい状況の中で皮膚の変調どころか深刻な心身の変調をきたしている人も多いと思う。ストレスで病気になるか、生活できなくなるか、片方しか選べない。なぜこんなことになったのか、アメリカ流グローバリズム・効率化・構造改革の蔓延の結果であることは明らかである。間違った「改革」の結果であると思わざるを得ない。

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2005年9月 3日 (土)

新居での玉虫(ヤマトタマムシ)

 今の新居に引越ししたのが今年の5月であった。新居には、少しばかりではあるが、園芸ができる場所(畑?)を確保していた。引越し後、家の中の整理でばたばたしているときに、今度は、長年勤めていた会社を7月に早期退職してしまった。次の予定は全く無いまま、早い目の「定年」後の生活に入った。しかし、この間、畑のことは放ったらかしで、雑草も生えるままになっていた。野菜類は春に種まきなどをするものが多く、夏はほとんどないことを言い訳にして。そして、団塊世代の人間のいち早い定年であるが、退職後・退職後の晴耕雨読とは名ばかりでさぼってばかりしている状態であった。

 9月が近づいてきて、そろそろ秋口の種まきするシーズンであるということになって、まだ、暑い中、一念発起して、手付かずにしていた畑を整備して、種まきができるようにと準備していた。新居では、いくつもの動物が飛来してきて、季節の折々に、いろんな楽しみを与えてくれている。いろんな草木が生えていて、家内もそれぞれの名前の同定に毎日必死に図鑑とにらめっことしている。そして、いままで、騒々しかったセミも何とか静かになり、秋の虫がそろそろ合唱を開始したような時期となってきた。

 畑仕事もひと段落した今日、今日の作業の状況を家内と確認するつもりでぶらぶらしていたときに、何かの昆虫の飛来があった。近くの駐車してあった黒いワゴン車に一旦止まった。大きめの昆虫であった。あまり昆虫一般に造詣がないが、カナブンのような感じもするが、カナブンよりは大きく、そして、カナブンよりスマートで、また、色が綺麗であった。すぐにワゴン車を飛び立って、しばらくその場のへんを何周も飛び回った。飛んだ時の色も綺麗であった。その時、家内が「タマムシだ」と叫んだ。近くで、ワゴン車の持ち主だろうか近くで建築工事をしていた人もちょうど昼休みで休んでいたが、我々の注目物に目を奪われていた。
 何とかして捕まえたいとは思ったものの、虫の好きなようにしていた。そのうち、どこかに飛んでいってしまった。 すぐ家に入りインターネットで検索してみた。「ヤマトタマムシ」に違いないと思った。体長もちょうど3-4cmであった。参考サイトはhttp://www.tbs.co.jp/seibutsu/zukan/insect/htmls/insect_29.htmlである。そのサイトの記載を引用させてもらうと、「きらびやかな色合いは、鳥をおびえさせる効果があると言われる」というくだりがあった。まさに、トリをおびえさせるほどの豪快な舞であった。
 住んでいるところは、京都市内である。その街中で、タマムシが見られようとは。かつて、法隆寺の玉虫厨子のわずかに残った玉虫の綺麗さに感動したもので、厨子全体が玉虫に覆われているをの見たらどんな感じになるだろう、想像もできない、と思ったものだった。その玉虫の宙の舞を拝見させていただいて、朝からの畑仕事が報われたような感じになった。

 そして今日は、畑には、以前ブログにかいたアマガエル(どうやら「ニホンアマガエル」だったようだ)のほかに、トノサマガエルも訪問してくれていた。

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2005年9月 1日 (木)

ハリケーン・カトリーナと伊勢湾台風

 米国で超大型ハリケーンの被害が相当大きなものになると予想されている。ブッシュ大統領も 、米国史上最大の自然災害であると宣言したし、また、回復には何年もかかると述べている。今日(9月1日)のニュースでは、ニューオリンズの市長が被害は死者数千人になると述べている。

 この被害数で思い出したのは伊勢湾台風である。死者・行方不明者5000人以上の台風であった。日本で観測史上最大のものであった。幸い私は中国地方(広島6区)のため、その被害はなかったのであるが、遠くはなれた町でも伊勢湾台風の余波はきていて、学校が休校になり、小学生の私は風の中を帰宅していったことを今でも鮮明に覚えている。

 伊勢湾台風の被害は、災害に対する認識を新たにし、災害対策基本法制定のきっかけにもなった。そうして、防波堤ばかりで、日本から海岸がなくなる、という状況へ突入していった。自然破壊といえば自然破壊であるが、防災という観点からは必須のものであったろう。今回の米国ハリケーンの被災地も、伊勢湾台風で危害を受けた場所と同じように低地、海抜ゼロメータ遅滞だと聞いている。環境は似ていると感じた。

 こうして日本での自然災害の教訓を思い出してみると、米国はどうであったのであろうか。自分の国に経済的な利益をもたらすもの以外のことは拒絶して来たのではなかろうか。気候変動枠組条約の京都議定書についても真っ先に反対しているのは有名である。また、大豆などの遺伝子組み換え生物について心配されている。そのために、生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書がまとめられているが、それに参加していない有名な国といえば米国である。北朝鮮でも締結しているというのに。

 自分の国に利益をもたらさないものは反対であるという国策をバックアップしているのがITを背景にした米国流のグローバリズムであり、それが世界のスタンダードだと称している。しかし、その結果、経済的メリットのみがすべてを優先する、善であるという考えを押し付け、米国国内にもまた世界中の国で二極化が進んでいる。そして、その結果、社会が歪んできている。

 今回のハリケーンの被害についても、大統領は、被害者の自己犠牲論で突っぱねるのであろうか。かわいそうな表現ではあるが、被害にあった人がバカなのだというロジックで。そして、日本では伊勢湾台風をきっかけに必要以上ともいえるような社会整備を実施してきたのだが、米国はどう動くであろうか。米国流グローバリズムの観点からすれば、とりあえずの「対策」のみして本的な政策へと果たして移るであろうか。今回の災害が米国の試金石になってきたようだ。

 日本は伊勢湾台風をきっかけに整備をしてきた。しかし、今、伊勢湾台風が来たとして、過去と同様の対策を実施したかどうか。今の政府のやり方から見てはなはだ疑問である。阪神震災以降、どれだけ対策が講じられたか、をみるとはなはだ心もとない。

 すべてがグローバリズムの波に飲まれ「効率化」という謳い文句で世の中が動いていて、「金儲けがすべてだ」という風潮を植えつけるような「若者」がでてきているこの時期に、自然災害対策まで「効率化」の波に飲まれてしまいそうなのが残念である。

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2005年8月29日 (月)

スピーカー作製日記-「まるごと手作りスピーカーの本」

とんぼナックのhomepage中の「とんぼナックのエッセイ」に、【スピーカー作製日記-「まるごと手作りスピーカーの本」】というエッセイを載せました。

当初はブログに載せるつもりでしたが、長文になったため、「とんぼナックのエッセイ」に載せることにしました。

学研の「大人の科学」マガジンの特別号「まるごと手作りスピーカーの本」を購入し、スピーカー・ユニットの作製を試みた。しかし、それだけでは満足せず、スピーカーボックス、アンプも作製するに至った。そして、雑誌の付録と思っていたスピーカー・ユニットを用いて、本格的なオーディオ・システム(ただし、今のところモノラルではあるが)の作製にまで至った。

その経緯、また、昔のボリュウム・コントローラーの作製の思い出などを織り交ぜて書いたものである。

興味があれば読んで見てください。

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大人の科学マガジン別冊 まるごと手作りスピーカーの本
大人の科学マガジン編集部
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2005年8月24日 (水)

故郷は広島6区 - 争点は「グローバリゼーション」問題 - Part2

 前回は【故郷は広島6区 - 争点は「グローバリゼーション」問題】について書いたが、今回は、現行の構造改革は問題が多いのにもかかわらず世論調査での支持率が低くないことについて考えてみよう。

 グローバリゼーションの結果として二極化が進んできている。そして、勝ち組、負け組がだんだんはっきりしてきている。そして、世論調査では、勝ち組の人は、アメリカ流グローバリゼーション=現行の構造改革に対し賛成するであろう。たとえ、グローバリゼーションの結果、いろんな社会問題、政治問題(ニート問題、フリーター問題、そして、その結果として年金問題、介護問題、その他)が出てきているにもかかわらずそれらは自らのことではなく、そういう状況には目を瞑ってしまうだろう。問題は負け組と見られる人である。サラリーマンの中にもリストラに追い込まれるまでもないが、明らかに負け組とみなしたほうがよさそうな人が増えてきている、と思われる。グローバリゼーションの結果として、会社も効率化を求められてきている。その結果、リストラ、早期退職制などは長年行なわれてきており、会社を離れるまでもないが、会社の中での効率化の結果、負け組という処遇しか与えられない人が増えてきていると思われる。しかし、そういう人は、自分が負け組であることを認めたがらない。どうしても勝ち組になりたいという気持ちもあり、会社の中ではイエスマンになり、世論調査では、自分自身の状況を偽って現行の構造改革に賛成する、という投票をすることは容易に想像できる。そういう状況で世論調査の支持率は低下していないと思う。そういうことがサラリーマンの性といえばそうであるが、グローバリゼーションの結果、社会構造、社会の精神構造に変化が出てきていて、希望が持てない、会社が面白くない、という状況があるにもかかわらず、それに目を瞑ってしまう、というサラリーマンの性が寂しいものである。そして、この1ヶ月国政の世界で行なわれたこと、すなわち、トップの意見(郵政民営化法案支持)に従わなければ追放だ、黙ってついてくれば許す、という風潮は、多くの会社で、この数年間に強まってきているのでなかろうか。それをもって「リーダーシップがある」と賞賛するのはどうしても抵抗がある。

 広島6区の(反対派の)K氏が「弱いものいじめ政治」「強権政治」の批判を繰り返しているが、それも負け犬の遠吠えのように聞こえるが、K氏を支持しないとしても、どこか当を得ていると思わざるを得ない。グローバリゼーションのひずみを軽視した政治が行われているということは否定できないはずである。

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参考文献 (1) 「共生経済」が始まる―競争原理を超えて, (2) 生きる意味, (3) マルクスだったらこう考える, (4) 希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く, (5) がんばれ仏教!

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2005年8月23日 (火)

故郷は広島6区 - 争点は「グローバリゼーション」問題

 故郷を18歳で離れて約40年経つ。その間に衆議院選挙も中選挙区制から小選挙区制に変わった。中選挙区制の場合は区分けがシンプルで故郷を離れてもだれが立候補でだれが当選しているかわかりやすかった。故郷は、中選挙区制では広島3区であった。3区(中選挙区)は広島の東部で、3区(中選挙区)を北と南にわけたら、南に地盤をもつのが引退した元首相(M氏)で、北に地盤をもつのが今で言う「反対派」K氏であった。

 しかし、小選挙区制になってからは私の故郷は何区になるか知ろうともしなかった。どうしても当選するのは自民党しかないのであったから。ところが、昨日、選挙の前哨戦の報道で、IT社長のH氏、民主党の候補予定者(S氏)が、。広島6区で立候補予定者として事前運動をしているシーンを見てしまい驚いてしまった。なんと、私の故郷は「広島6区」だった。他人事と思っていたのに俄然興味を持ってきた。

 もともと、広島といえば、地元にファンの多い県で、広島カープももともと市民・県民できた球団であり、サッカーでもサンフレッツをもっている。現在でも広島新球場の建設のために伝説の「たる募金」をやっている、という土地柄である。したがって、地元で生まれ育ったK氏はもともと選挙に強かった(前回の選挙ではそうでもなかったらしいが)。しかし、広島県にすんだことの無い落下傘部隊であるM氏は必ずしも強くはなかった。落下傘といっても先祖は広島県出身のはずであるが。

 こういう広島6区に事情を知らない(と思われる)H氏が飛び込んできた。面白そうだから、注目を浴びるということで。現閣僚のT氏の名前が候補者として出たときも違和感があったが、女優のA氏の名前が出たときは、この人は地元生まれの地元出身者なのでK氏には強敵になるかと思ったものである。H氏が立候補するまでにごたごたがあり、事前にある党がH氏に関する世論調査を広島6区でしたが芳しくなかったという本当かどうかわからない話まで噂として飛び込んできた。広島6区ならばありうるかと思ったものだった。

 こうして、K氏とH氏の対決、それに野党のS氏との対決、という図式になった。こうして選挙がはじまるのであろうが、選挙の争点を首相のK氏によれば、守旧派と構造改革派の図式にしている。守旧派の日本代表としてのK氏、改革派のカリスマのH氏の対決という図式に、こういう土地柄の有権者がどう判断するか、興味を持っているのは私だけではないだろう。しかし、興味は、どちらが勝つか(あるいはどちらも負けるか)だけの興味ではないのである。

 構造改革はアメリカ流「グローバリゼーション」の日本での改革版であり、そのグローバリゼーションの結果として「1億総中流」層が崩れてきており、二極化し、勝ち組と負け組みを生み出していると考えられている。そして、景気が良くなってきても、勝ち組がますます勝ち組として先鋭化するだけで、負け組みの暮らしが良くなるとは限らない、という論調の人まで出てきている。グローバリゼーションを無視すると国としての問題があろが、グローバリゼーションしても二極化が進んだ結果社会が崩壊しかねないという問題を含んでいる。実際、いろんな社会問題、政治問題(ニート問題、フリーター問題、そして、その結果として年金問題、介護問題、その他)が出てきている。

 そして、この住みにくい現状でどう生活していくか、どういう心掛けで人生を歩んでいくか、いろいろの観点から提案している書物がいくつも出てきている。しかし、勝ち組と思われる人からの提案については残念ながらひとつも拝見していない。

 今回の選挙で、勝ち組の論法として、改革を進めることは善であり、それに反対することはなんら悪である、という論法を進めるであろう。そして、負け組みに対する思いやりがない形で(そのことで社会がますますひずむという意識がないままで)。郵政での賛成・反対もその一例である。そして、今回は、アメリカ流グローバリゼーションに政治的に有利な状況を作ろうとしての選挙であろう。

 そういうグローバリゼーションの是非という対立軸で捉えた場合、勝ち組の代表の一人とおもわれるH氏と、グローバリゼーションの問題を指摘するK氏という対決という図式で捉えられ、広島6区という田舎の選挙区が、グローバリゼーション問題をどういう判断をするか、今後の日本国民の意識を田舎の選挙区で占うということから見て非常に面白い物になってきている。

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参考文献:  (1) 希望格差社会, (2) マルクスだったらこう考える, (3) 「共生経済」が始まる―競争原理を超えて, (4) 生きる意味, (5) がんばれ仏教!

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2005年8月15日 (月)

新居の酸性雨と政治雑感

 みどりの多い環境のよい新居に引越してきて数ヶ月経とうとしている。敷地内の草木についてはいろいろ目を楽しませてくれるような日々を送っていた。

 そのうちアサガオがたくさん花を咲かせるようになってきた。ある朝、咲いた花の数を数えていた。そのときに異変に気づいた。明け方雨が少し降ったようである。アサガオの花に水玉がついていた。よく見ると、花びらで水玉のついているところの色が変わっていた。どの花もそうなのかと思って20個くらい咲いているアサガオを観察したところ、白いアサガオ、青色のアサガオ、赤色のアサガオの全部で花の色が変わっていた。まさか、酸性雨ではと思ったが、酸性雨なんか昔の話ではないかと思いつつ、インターネットで検索した。やはり、酸性雨が原因であった。「アサガオは酸性雨のリトマス紙」という言葉があるほど有名な現象であり、小中学生の格好の教材(?)にもなっているよう感じであった。DSC_0036B実際に、水玉をリトマス紙で測ってみたところ明らかに酸性であった。

 酸性雨が社会問題になって何十年経つであろうか。それなりの努力がされたであろうが、酸性雨の問題は国境を超えた問題になっているようにも聞いたことがある。日本だけでは解決困難な問題となっているようである。しかし、酸性雨の問題自体は厳然として存在しているし、環境破壊などに通ずる深刻な問題である。行政の側の無作為的なものを感じても不思議ではないだろう。

 ここで思い出すのは、エイズと今改めて問題視されているアスベストの問題である。エイズの場合も、それがウイルスの感染病ということがわかった後においても、血友病患者に対して輸血治療を実施していた。患者は当然エイズを発症するであろうと、少しでも勉強したことのある人であれば容易に想像されるようなことを平気で実施していた。それしか血友病患者を救う道はないということで。あまりにもかわいそうではないか、別の方法はないかと思ったものではあるが。それがお役人の無作為であること、そして、御用学者の企業よりの無作為であることがわかったのはその後大分たってからであった。

 アスベストの問題も、それが過去に一旦問題視されたときは、それ以外に手段はないとか、解体のとき以外は大丈夫だとか、問題の先送り、経済優先、くさいものには蓋、という対応であり、無作為的なものを多くの人が感じていたのではないだろうか。

 酸性雨、アスベスト、エイズ以外にもまだ表面化していない問題が隠れていないだろうか。ホルマリンの問題も本当に解決したのであろうか。今回、新居を新築するときに、ホルマリンの量を極力減らした部材が用いられていることをハウスメーカーからしきりに聞いた。しかし、ホルマリンをゼロにすることはできないということだそうである。その限度域は本当に安全なのであろうか。アスベストと同様に、それしかないとか、それをはずすと経済が停滞するとか言う理由で無作為状態が生まれてはいないだろうか心配しているのである。この数年、グローバリゼーション、構造改革と称して、効率化を合言葉に、為政者にとって敵となるような意見を抹殺してしまう、という経済優先の風潮が政治的に浸透しつつあり、リーダーシップを発揮するには多数決で敵の意見を抹殺するのが正義であるかのごとく扱われている。政治の世界ではそういう風潮は権力闘争なので当然だと居直ってそれを支持する風潮があり、また、支持率からみても、そういう風潮を支持している数字が出ている。そういう風潮ではなく、マイナーな意見に謙虚に耳を傾け、無作為状態にならずに、真摯に問題に対応して解決していこうとする姿勢が失われようとしないことを祈るだけである。フロンガスも一時問題視された。これは国際的な動きとして対応しようとしているので、経済優先のグローバリゼーションから外れるため遅々とはしているがなんとか目的のものに対応しているようである。

 国民の税金は、国民が健康な幸せな人生を送られるようにも当然使われるべきである。しかし、いろんな問題があるにもかかわらず、そういうことに蓋をし、何に税金が使われているかわからない状態で、「小さな政府、小さな政府」と連呼し、相手を抹殺してしまう、という手法をとるのは、たとえそれが、違法ではないとしても、どこか違うんじゃないの、と言いたくもなるであろう。

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2005年8月11日 (木)

一羽のトリの訪問

とんぼナックのhomepage中の「とんぼナックのエッセイ」に、ブログ記事「新居のスズメ 」 2005年8月 3日 (水)を書き直したエッセイ「一羽のトリの訪問」を載せましたので、興味があれば見てください。

http://homepage1.nifty.com/tombonak/essay/essay_index.html

http://homepage1.nifty.com/tombonak/essay/essay_bird.html

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2005年8月 4日 (木)

あるアマガエルの死

とんぼナックのhomepage中の「とんぼナックのエッセイ」に、ブログ記事「新居のアマガエル」 2005年7月29日 (金)を書き直したエッセイ「あるアマガエルの死」を載せましたので、興味があれば見てください。

http://homepage1.nifty.com/tombonak/essay/essay_index.html

http://homepage1.nifty.com/tombonak/essay/essay_frog.html

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2005年7月31日 (日)

とんぼナックのエッセイ

以前から、とんぼナックのhomepageを開設しておりますが、その中に「とんぼナックのエッセイ」というカテゴリがあります。しかし、ずっとunder constructionのままでした。

このたび、「とんぼナックのエッセイ」を開設しました。興味がありましたらvisitしてみてください。アドレスは以下です。

http://homepage1.nifty.com/tombonak/essay/essay_index.html

今回開設したときに投稿したエッセイは「血圧と町のお医者さん」というものです。

よろしくお願いします。

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