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2009年8月の4件の記事

2009年8月31日 (月)

素焼き粘土像の練習1-土偶(ビーナス)の模刻

 粘土いじりの教室で良寛さんの粘土像を幾つか作ってきた(坐像かくれんぼ子供と一緒大の字書を読む、など)。そのシリーズもネタ切れになったので、いろいろ既にあるものを見て作ったり(即ち、模刻したり)、いろいろ気分に応じて制作してみようと思っているところである。いずれにしても教室の時間内、即ち1時間半以内で作れるもの、という制約があるので、簡単なものしか出来ないのであるが、なんとか楽しむことが出来ればと思ってやっている。

 今回は、土偶で国宝のビーナスを作ってみた(下の写真)。高さ20cm程度のものである。

Sdsc_04101 Sdsc_04121 Sdsc_04141

 素焼きのものに着色したものであるが、素焼きのままだと、なんだかボケていてピンと来なかったが、全体が一色ではあるが、写真のように着色すると、かわいらしい像になってきて我が家の新たな一員になった感じである。

 1時間半という制限時間があったので、時間がなくて頭部にある模様を忘れてしまった。仕方なく絵具で模様を書き入れた。やはり、模様は書き入れるのではなく彫り込んだ方が良いようである。


 

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2009年8月27日 (木)

ブラックベリーのジャムの作成

 今年はブラックベリーの大豊作で以前の記事「庭のブラックベリーの実が鈴なり」で紹介した。

 結局、我が家では食べきれないほどのものが取れたので、ジャムにした(作ったのは家内であるが)。

R00112201

 この写真のジャムは2つめのロットのジャムで今は毎朝一つ目のロットのジャムを美味しく食べている。ジャムというと大体が甘ったるいものであるが、甘さ控えめにして作ってもらっているのでなおさら良い。

 残念なことに、ブラックベリーを収穫したあとで分かったのであるが、ブラックベリーの木が「コウモリガ」という害虫にやられて、幹がかなりかじられているものも出てきた。そのため、お礼肥見たいな物をする前にその幹については切り取ってしまった。どうせ今年実がなった枝には来年は実がつかないらしいので切り取っても取らなくても一緒であるが。しかし、かなり切ってしまったので、果たして、来年は実がつくかどうか、心配である。

 

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2009年8月18日 (火)

我が家にもあったサルスベリの木

 今の家に引越してきて4年強になるが、引越してくる前から植わっていた庭木で名前が分からないものがいくつがあった。そういうものも花が咲いたおりに名前が分かるケースが幾つかあった。そのなかには、普通園芸店ではほとんど見かけないものもいくつかあった。例えば、クサキ、ウワミゾザクラ、クマノミズキ、などである。隣家との境界線がはっきりしていないので、これらのものも正確には、我が家の庭木か隣家のものかはわからない。

 こうして、目に入る庭木は全部名前を同定しそれ以外のものは我が家に敷地(或いは隣家)にはないものとおもっていた。この前から、なんだか可愛いピンクがかった紫色の花が咲いているのに気がついた(写真参考)。 近くにはいろんな木が群生しており、この木の幹などは他の草木、庭木にかくれてみえない。おまけに家庭菜園のゴーヤがこの木の付近まで勢い良く伸びていって、幹や枝を隠してしまっている。そういう事情もあってか、この木の存在自体4年間気づいていなかったのだが、花が咲いたのでやっと認識するように なった(家内によると昨年も咲いていたらしいのだが)。

Sdsc_03901  

 そこで高枝切バサミを取り出して図鑑で同定を試みると、なんとサルスベリ(百日紅)であった。サルスベリの花は赤紫となっていているので、紫っぽいものはどうなのかなと思ったが、葉っぱや花の形からしてどう見てもサルスベリ、ということになった。我が家にもサルスベリがあることが分かってから近所の庭をいろいろみているとかなりの家でサルスベリを植えていることが分かった。しかしどれも、赤ないし白がほとんどであった。

 今回見つけたサルスベリの木は誰が植えたのかよく分からない木の一つである。

 今年はもう難しいが来年当たり挿し木でも試みようと思う。ただ、群生している中での小さなサルスベリの木なので花が無いときに同定できるかどうかが心配である。

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2009年8月12日 (水)

私はそもそも左利きなのか右利きなのかー絵画の練習で疑問

 私は本来左利きであるが、子供の頃、親に矯正されて、鉛筆、箸などは右手を使ってきた。ちょっと力を使う作業は矯正されてなくて左手を使っている。その境目は、スプーンを持つ手が左手、消しゴムを持つ手が左手、という感じである。ナイフとフォークは我々のような団塊世代ものにとっては年を取るまで(といっても20歳台だが)使うことがなく、20歳台に頭で考えて右利きの人が持つ持ち方、すなわち、ナイフは右手、フォークは左手を使うようにしてきた(自己矯正か?)。

 以上の状態で定年後まで来た。定年後は、趣味として、仏像彫刻や粘土いじりをやっている。これらの作業は力がいるので、当然、左手を使っている。

 しかし、仏像彫刻や粘土いじりをやっていると、どうしても、デッサン、クロッキーを練習しておいた方がよかろう、と思うようになった。そして、このところ、絵画系の勉強に手を出し始めて混乱が始まった。絵画系は子供のときから苦手なのであり、なかなか自ら進んでやろうという感じではなかったし、もちろん下手でもあった。版画は掘りの作業が入るのでそんなに嫌だという感じではなかったのだが、なぜか絵画系はだめだった。

 そういうことで一年前からクロッキーを初めた。今も当然下手なままであるが(美大系の受験生と比べ何たる差があることか)、なぜか困ったことがでてきた。それは、私としてはクロッキーを右手で描いた方がよいのか、左手で描いた方がよいのか、ということでまだ解決していない。

 クロッキーは鉛筆をもちいて描くので私としては「右手」で描くのがよかろうかと思った。細かいところを描くのは文字を書くときと同じように当然右手という感じであったががなぜか描きにくい。しばらくしてから、クロッキーの場合は「左手」で描く方がよいのではと思い、左手でしばらく描いてみたが左手では細かい手の動きができなくてうまくかけない。結局どちらの手で描いても楽にはかけない。

 これと同じことが昔からある。鉛筆は右手に矯正されたが、黒板(今では「白板」か)にチョークで字を書くときは、右手で書いたり、左手で書いたりする。これは小学生のときから今でも同じである。小学生のときに、右手に持っていたチョークを途中で左手に持ち替えて描いて、先生に(今ではばかな教師だったと思うが)「行儀が悪い」というお叱りを受けたことがある(それがいまだにちょっとしたトラウマになっているのかもしれない)。

 チョークで字を書く場合も右手でも左手でもあまり上手な字は書いていないようである。クロッキーの場合も、要するに、右手でも左手でもよいのかもしれないが、下手な絵しか描けていない。この調子だと、「両刀づかい」というよりも、私の場合は、右手でも左手でもろくにかけない、「両刀ともダメ」ということになりそうである。

 クロッキーと同じような経験を最近した。仏像彫刻をやっていると彩色をしたくなるものである。そこで最近、極彩色の勉強を行った。簡単なものを木彫してそれに色を岩絵具でつけるという練習である(つまり繧繝彩色の練習)。同じ木彫りのものを3個作り、色のバリエーションも考えながら基本的には同じように色をつけていく  という作業である。日本画絵具を用いるのは全くの始めてであるし、極彩色で細かい色をつけていくというのも全くの初めてであった。戸惑いながらも筆は「右手」で持つのが当然と思って最初のうちは右手で作業を行った。その次に2つ目、3つ目と作業を進めていくうちに、右手では手が震えやすいということに気づき、知らない間に左手に絵筆を持ち替えていた。結局最後は左手であった。左手ではあったが、細かい作業が本当に左手でできていたのかどうかの疑問は残る。

 これと似たようなことが木炭デッサンでも起こっていた。クロッキーのあと木炭デッサンもこの年になって初めてチャレンジしたが、この場合も最初は木炭を右手に持っていたがそのうち、左手がメインになっていた。

 以上のように、どうやら、絵の場合でも利き手は「左」というのが正解かもしれない、という事象は積み重なってきた。しかし、まだ、左手が自由に使えるという状態でもない。これは、まだ、絵になれていないからかもしれない。同じように、今のうちなら右手を鍛えると右手でもうまくかけるようになるかもしれない、という気もしないではない。

 こう考えてみると、子供のとき鉛筆、箸を右手で持つように「矯正」されたメリットは何一つない。左手のまま育ててくれたら苦労することもなかったろうに、と、この年になっても思う。左手だからといって差別されることもなかったのになぜ矯正されたのか、不思議である。

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