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2009年1月の5件の記事

2009年1月27日 (火)

家庭菜園-キヌサヤの手入れ(2009冬)

 家庭菜園でキヌサヤを栽培するのは今年で3回目となる。何回やっても素人なので、タネを撒いてほったらかしにしている。特に冬の間は何もしなくても良いような感じがするのであるが、しかし、この大寒の時でも少しずつは成長していて、蔓が少し筒延びてきて、蔓同士が絡まってきている。

 近所の農家の畑を見るとビニールひもで誘導ネット(?)みたいなものを作っているので、今回は我が家でもそれを真似て作ることにした。この2-3日は寒くて今日やっとすこし暖かくなったので実施した。

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 今日の作業ではビニールひもの長さは短いので春になって本格的に蔓が延びてきたら更に今度はネットそのものでも張らなければいけないと思う。

 こういう作業をやるのは面倒なのであまり好きではないが、我慢してやっている間中、近くの木々でヤマガラがジィージィーとうるさく鳴いていて、癒しになる。木々にいるところのヤマガラの姿はとらえていないが、我が家の家の近くに飛んで来ているヤマガラ君(のひとり)は以下の写真である(窓ガラス越しに写したので霞んでいる。クリックで拡大)。

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 昨年はジョウビタキがかなり可愛かったのであるが、今年はなぜか、ヤマガラの方も結構可愛い感じになって来ている。

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2009年1月18日 (日)

テレビで最近やけに目立つこと

 昨年後半からテレビでやけに目立つのは、時局のテレビ番組のスポット予告である。何回も何回も同じ予告をスポットで流して、いざ当日になるとみるのも嫌になっていることが多いし、番組自体もそんなに面白くも何もない。

 以前はこういう時局のテレビ番組の予告はNHKがよくやっていて、それで視聴率向上に貢献した、という評価があったが、最近の民放の時局のテレビ番組の予告は、なぜかみているとむなしくなる。CMがとれなくてその空き時間にテレビ番組の予告を流しているとしか思えない感じがするのである。

 そもそも、数年前に家を新築したときは将来的には定年後生活になるので、デジタル放送も完備したしデジタルBSも完備した。しかし、そういう準備はしたものの番組の質の悪さはその後数年間で次第に低下していて、最近は制作費が出ないのかまだまだ低下の一方であり、テレビ局の負のスパイラル(スポンサーがつかない→番組が面白くない→視聴率が低くなる)を繰り返しているような印象がもろに出てきている。デジタルBSに至っては再放送、再々放送を繰り返しやっていて、放送ライセンスを返上したらどうですかと言いたくなる。

 こういう状況下で、ブルーレイレコーダーを買おうかと思ってこの数ヶ月思案したが結局は「録画するに足る番組がない」ということでしばらく棚上げということになった。同じ思いの人も大勢いると思うのでブルーレイレコーダーの売り上げも落ちるのではなかろうか。

 そういうことで、長年テレビ好きで通してきた私も最近テレビ離れが進んでいる。予想外の展開になっている。この調子だと2年半後のアナログ放送停止も総務省の目論見どおりになるかどうか怪しいと見ている。

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2009年1月16日 (金)

還暦後にクレジットカードを申請してみた

 昨年秋に還暦を迎え年金申請もして、昨日初めての年金が入金された。今まで数年間は早期退職をし無収入のため気持ちの上では肩身の狭い思いをしていたが、これで晴れて、「年金生活者」というレッテルが貼られることになる。

 年金生活者になったといえども勤務年数が長くないので年金額は少ないのが実情である。少ないといっても年金生活者というレッテルが大きく反映することが時々ある。クレジットカードの申請のときである。今は知らないが昔だと2年以上同じ会社で勤務を続けていないとクレジットカードは降りなかった、という時代もあった(そういう時代であっても学生にはクレジットカードが降りていて、変なもんだなと、怒りに満ちた感情を抱いていたこともあった)。

 クレジットカードは退職までに何枚かは持っていて、それが一生使えるものとばかりに思っていた。ところが、ある会社(ある百貨店系統のクレジットカード。年会費1500円ぐらい)は「2年後に今使っているカードを廃止します」と一方的に行ってきた。新たに別のカードを申請してください、ということであった。しかし、そのときは無職、無収入になっていたので申請する気すらおこらなかった。従って、その会社とは縁がなくなってきた。

 また、ある会社(通信販売の本の会社。年会費0円)も突然「2-3ヵ月後にカードを廃止します」と一方的に宣言してきた。こちらとしては抗議をすることも出来ず、廃止後は別のカードに移行するということであったが、移行したカードは年会費が数千円もするようなカードであり、納得できないものであった(その親会社はアメリカで金融危機の真っただ中にある)。

 そもそもクレジットとは「信頼」ということで、カードを使う私としては、信頼を傷つけないように何十年にわたって誠意を尽くしていたつもりである。その信頼をモットーとする会社が一方的に信頼を傷つけるような「廃止」を一方的に、しかも私が無職・無収入の時に言ってくるのにはさすが怒りが頂点に達した。

 クレジット会社は「信頼の置けない会社」ということを認識し、今後はクレジットカードを使わない生活を、と思ってみたものの、通信販売などでは一番便利なのはやはりクレジットカードである。クレジットカードが無いのは困ったものだと思って、いろいろ新たにいろんなところのクレジットカードの申請書も入手した。いつまた急にクレジットカードを廃止します、という案内が来ても良いようにと複数入手できれば良いなと思っていた。問題は今の収入で発行してくれるかどうかであった。

 昨年末「年金生活者」は年金額が少なくてもクレジットカードが発行されるかもしれないと思うようになってきた。それは、あるところに電話して以下のような質問をしたときに始まる。「国民年金をもらっている人は年100万円以下の収入のケースも多いにあるであろうが、そういう人にでもクレジットカードは発行されるのですか」と聞いたところ、発行できるという返事が返ってきた。収入が200万以下ではカードが発行されないのか、年長者はいつ死ぬか分からないので発行されにくいのかと思っていたので、意外と基準が低いのだなとびっくりし、早速申請書を出した(今日カードが届いたところである)。収入額よりも「安定収入」が優先されるのであろうか。

 その会社以外にも幾つか「年金生活者」ということで申請をし、カード発行手続きが順調に行なわれている(いまのところカードは入手していないがカード発行手続き完了の案内をもらっているところもある)。

 クレジットカードについては年収があるときは何も考えないが、年収が少ないときはいつもいらいらするものである。年金生活者というレッテルだけでカードを発行してもらっていて良いのかな(当然私は支払い義務を果たしますが)、と思うときはないでもないが、それよりも今の金融危機の時代には、クレジット会社自体の信用が大丈夫なのか、お客に嫌な思いをさせる前に自らは大丈夫なのか、と問いたくなることもないではない。

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2009年1月12日 (月)

仏像彫刻の副産物-桧の入浴剤

 仏像彫刻の練習をいろいろやっていてもう1年半経つが、材料の木は練習なので専らマツでやってきた。今新たに不動明王(座像)の練習を始めたところであるが、材料は桧ということになってしまった。まだまだ初心者なので松でよかったが、なぜか不動明王の場合は松は無い、という先生の話で桧になった。先生のほうで木取までやってくれるやり方なので先生の言うことに従わざるを得なかったのであるが、5割以上高価なものになってしまってもったいないな、という気持ちがどこかにスタート時から少しあった。

 昨年12月、彫刻用に楠の厚い板を購入した。そして、家で、鋸で製材(?)をしたとき、木粉がたくさん出てきた。この木粉は細かいもので、今後、木屎(こくそ)の材料として使える、ということなので、大事に回収・保管しておいた。楠は、木屎の材料として以外にも、いい臭いなので芳香剤として用いることが出来そうである。ただし、木屑でなくても彫刻中の本体があるだけで部屋の中は芳香が漂ってくる。

 今年になって、不動明王の制作で荒削りから始めた。荒削りのときは結構たくさんの木屑がでてくる。いつもは松だったのでそのまま捨てていたが、今回の桧の場合は、なぜか、急に、ちょっと待てよ、この木屑を回収し、風呂に入れると、桧風呂になるのではないか、という気持ちが起きてきて、教室を管理している女性に回収袋を何とかして急遽頂いて家に持ち帰った。

 今日、桧の木屑桧のを風呂に入れてみたが、なかなかいい感じに仕上がっていた。お店で風呂に入れるような桧の木屑を売っているが(買ったことはないが)、多分それと同じようなものになったのではないかと思っている。もう一、二回ほど風呂に入れるぐらいの切り屑が出てくるが、しばらくは、それだけで終わりである。桧をホームセンターで購入してそれを削ってしまえばいつでも桧風呂は出来ようが、そうするほどの物好きではないので、仏像彫刻の副産物として時々、楽しめばよいかなと思っているところである。

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2009年1月 6日 (火)

初詣-趣きのなくなった伏見稲荷大社とその界隈

 もう正月が終わって6日であるが、今年の初詣は3日に京都の伏見稲荷大社と八坂神社に行ってきた。

 30年近く伏見稲荷大社の近くに(歩いて10分程度のところに)住んでいて毎年そこにお参りするのが正月の恒例行事であった。とくに何かをお祈りするということもなく、参道脇にある「骨董市」を見るのを楽しみにしたり、また、参道の出店の(広島焼き風)お好み焼きを目的にしたものだった。

 しかし、数年前に京都市内の北部に引越しをして、この何年間かはお参りしていなかった。そして、今年、3年ぶりぐらいに行ってみた。

 京阪電車の稲荷駅から参道へ向かう途中にお店が幾つかあるが、それらのお店で日常の生活物資を買っていたところもある。しかし、3年ぶりに来たところ、お魚屋さんは店を閉じて一杯飲み屋に変わっていた。屋根にある看板は魚屋さんのままであるが中身は変わっていた。また、八百屋さんはみやげ物店に変わっていた。今までもよくもつぶれないでいるものだとは思っていたお店ではあるが、実際、店じまいをしているのを見ると寂しいものである。

 それらのお店は変わっていたが、伏見稲荷の参道、神社そのものは変わっていないことを当然のことと思いながら参道を進んでいった。

 骨董市に到ったとき、その姿が激変していた。時代の波である程度は覚悟していたが、骨董品を売っていない「骨董市」になっていた。数年前まではその規模を縮小はしているものの骨董は置いてあった。今年はなんとか骨董もどきは置いてあったが、古いものらしく見せかけて作ったものを置いてあるのであって、骨董品そのものではなかった。「骨董市」の名が恥ずかしいものになっていた。

 骨董市の変貌は想像以上であったが、神社自体は変わっていないだろうと思い、いよいよ境内に入って行った。

 なんと、境内が激変していた。参拝客が本殿に向かって整列されているのであった。いままでこういう姿を見たことがなかった。多くの人が警備員(警察?)の誘導で本殿にゆるゆると進んでいた。また、本殿で拝まない限り、御札、絵馬、破魔矢などは求めることが出来ないような仕組みになっていたのには唖然とした。当然、古い御札を納める場所にもいけないような感じだった。

 人間が機械的に誘導されている姿は、信仰心とはかけ離れたもとの思い、なにか人間の信仰心まで警察か何かにコントロールされているのかと思うと、ありがたくも何もなくなってきた。当然参拝せずにすぐに引き返してしまった。伏見稲荷大社では人間は「拝む機械」となってきたようだ。

 個人的には以上のような感情を抱いて引き返したが、途中、以前いつも行っていたパンやさんが美味しい「アンパン」をいつもどおり売っていたので買ってきた。店員(オーナー?)のおねぇさんが家内の顔を覚えておいてくれたのは唯一変貌しなかった姿だった。

 伏見大社神社の変貌振りにあきれてその足で昨年に続き八坂神社に行った。八坂神社はいつもと変わらない趣きであった。昨年は厄年だったので厄払いのお札を入手した。今年もなにか御札を求めようと思った。しかし、何が良いか分からない。家内安全、学業成就、交通安全、etc、といろいろある。どれも最低1000円であった。全部買えば5000千円近くなる。なにかパッケージで丸ごとご利益があり2000円ぐらいにお安くしたお札でもないかと思ったがそんなものはない。この不景気なときに、本当にご利益があるのであれば良いが、と思いながら、通り過ぎてしまった。

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