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2007年10月17日 (水)

反省の弁を述べなくなった日本人

 いろんな事件が続いているが、社会的立場にある人間が事件・トラブルを起こしたとき、昔ならば、謝罪の言葉が聞けたけれど、最近続く事件・トラブルでは、謝罪の言葉が聞けなくなった。言葉の上では「謝罪」といっているが、会見の雰囲気は「謝罪」としているが、実際はなんら「謝罪」の気持ちがつたわってこない「謝罪パフォーマンス」がはびこっている。

 例を挙げると、
(1)  朝青龍事件。モンゴルに帰るときも、モンゴルに引きこもっている今も、「謝罪」はない。自分がやったことは「正当」らしい。(朝青龍は日本人ではないが、ここでは準日本人として取り上げた。)
(2)  ある相撲部屋での「リンチ殺人事件」。元親方は被害者がなくなったことはお詫びしているようだが、自分がやったことは「正当」らしい。
(3) ボクシング界のある一家の不祥事。今日謝罪会見をしたようだが、何を謝罪しているのか分からない。問い詰めていくと、自分がやったことは「正当」らしい、とも思えるQ&A。
(4) 不祥事の続く相撲協会の理事長。自分がなにもやらなかったことには、なんら責任を関しなくて、「正当」らしい。
(5) 最後に、前首相。辞任会見で「国民にお詫びする」の一言があったのか。あったとしても一番最後だったと記憶している。一番最初にお詫びするのが、一番最後だのようで、何をお詫びしているのか分からない。

 日本人・日本にすむ外国人すべてが、自分のやっていることは何も悪くないらしい。法に触れなかったら何をやってもいいのだ、という風潮を作ったのは誰だろう。憲法に触れなかったら郵政民営化で変な「解散・総選挙」をやってしまう首相もいる国だから、上記の例をとやかく言っても仕方ないだろう、とも思われる。本当に、首相から末端まで、嫌な世の中になってきたものである。

 外国では(外国人は)一旦「謝罪」を認めるとあらゆる損害賠償がでてくるので、非があっても絶対認めない、というのは聞いたことがある。しかし、日本の上記の例では、そういう問題も多少はあろうが、それとは別の、人間が「非人間化」してきている姿、人間が動物か、いや、動物以下に成り下がって生きている様子、を見てきているような気がしてならない。「品格」が歩かないか、という問題をはるかに通り過ごし、動物以下に成り下がっているような気がしてならない。

 余談であるが、私は何でもすぐにお詫びし馬鹿にされてきたような気がする。特に、前職の会社では。私のような考えの人間が受け入れられる世の中ではなくなっているような気がして寂しい限りである。

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