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2005年10月 5日 (水)

「社内運動会 リバイバル」とグローバリズム

 10月3日付の朝日新聞の記事に「社内運動会 リバイバル」という記事があった。以下、一部転載する。

 スポーツの秋を迎え、「経費や手間がかかる」「若手が参加しない」などの理由ですたれる一方だった社内運動会を復活する動きが、一部の企業で出ている。人員整理やパート・派遣社員の増加など、雇用環境の変化で薄れた職場の連帯感を取り戻そうという狙いがあるようだ。

という記事である。超一流企業のひとつの事業部での動きを始め3つの会社の動きを紹介している。いずれも、運動会の復活、運動会の新規開催の話題であり、職場の連帯感を取り戻そうという狙いを強調している。しかし、これの動きは、記事で書いてあるように職場の連帯感を取り戻すことになるのか、文面どおり受け取ることには無理があると感じた。

 この10年以上の間に日本ではグローバリズムが進行し社会構造は変わった。2極化が進み、勝ち組、負け組がでてきている。そして、それとともに、新聞記事の中でも触れているように、運動会のみならず、社内の親睦行事は「すたれる一方」になった。

 私の知っている会社の場合10年前に運動会が行なわれたのが最後ということであった。そして、その後クリスマス・パーティー、ソフトボール大会、なども次々に中止された。新人歓迎パーティもなくなった。かろうじて、ボーリング大会がひそやかに行なわれている状況であるとか。中止の原因は会社の中の雰囲気、若いものの意識が変わってきたからということであり、それはそれで時代の当然の変化として考えていた。しかし、いま考えてみると、グローバリズムがその会社の中でひそかに進展していっていたことに気がついた。そして、グローバリズムが進展と歩調を合わせるようにその会社の福祉関係も衰退していっていた。こういう状況はその会社の特殊な話ではなく一般的なものであろう。そういうときに、「社内運動会 リバイバル」という時代逆行的な会社の動きを紹介した新聞記事である。なぜ日本を代表する超大企業が、一部の事業部だけとはいえ、福祉関係の運動会を復活させたのであろうか。

 グローバリズムの問題点として、資本の論理の必然として社会が2極化し、その2極化がどんどん進展していく、その結果、社会のひずみが出てきて社会の喪失が起こってくる。そして、実際そこで仕事を行なっている人々は非人間的に仕事を強制され楽しくもない仕事に対して奴隷のごとく黙々と働かねばなくなる。そして少しでも文句でも言おうものなら負け組へと簡単に持っていかれ、リストラあるいは早期退職の対象になってしまう。

 そういう資本の論理が透徹しつつある現代において、今回の運動会の復活は、本来のグローバリズムとは相容れなくて、違和感を感ぜざるを得ないのである。そのことをどう考えたらよいだろうか。答えは明らかである。すなわち、このような福祉行事も業務のひとつであろう。本当の意味での福祉行事ではなかろう。トップダウン的な会社隷属型のレクリエーションであり、ただ働きの「業務」が増えるだけであろう。新聞記事を読む限りそういう印象を受ける。もし本当の意味での福祉行事とした場合には時代を逆行させたことになり、資本の論理と会わなくなる。運動会は、グローバリズムの2極化、そして、負け犬に対する放置、という社会状況を解決しようとしているものとは思われない。形の上では、派遣社員・パートも含めて、とは謳っているが。こういう見方に対して実際の参加者からはそうではない、楽しいものであった、という反論があるかもしれない。しかし、資本の論理からみるとそういう意見はそのままストレートには解釈しがたいものである。

 近年、グローバリズムの対抗軸としていくつかの意見が見られる。(1) 企業を超え国家を超えてすべての「他者」が団結することを求める考え方(参考「マルクスだったらこう考える)、(2) マルチチュード(多種多様な差違をもった多数者、自主的な多数派)による生産的な協働を主張する考え方(参考「<帝国> 」及びレビュー)、(3) かけがえのない自己を大切にし多様性を肯定し「内的成長」をもたらすコミュニティの再創造の考え方(参考「生きる意味 )、などが思い浮かぶ。しかし、まだ、それらが政治行動、企業活動、地域社会・コミュニティ活動としては十分には成熟していないと思われる。グローバリズムによって出来た新しい「帝国」には対抗できていない。グローバリズムは社会の崩壊をもたらしつつあることは確かであり、それに対抗するような運動が今後出てきてほしいものだ。

 団塊の世代の定年退職が目前に迫っている。若いときは理想に燃えて一部かもしれないが学生運動もした世代である。定年退職を前にして経産省主導で団塊の世代の技術をデータベースに入力されるようなシステムをつくるというあつかましい動きがあり、団塊の世代は利用されるところは利用され、はいポイと捨てられつつある。しかし、こうした社会の変革の中で、人生の最終章・第二の人生としてもうひと仕事やることがあるのではなかろうか。

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