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2005年10月の4件の記事

2005年10月13日 (木)

引越ししていつも聞かれる質問

 今年5月に新居に引越して5ヶ月たったが、いつも聞かれる質問が2つある。ひとつは商品の配達時に家の場所を聞かれることと、もうひとつは電話番号のことである。

 まず、配達時に家の場所を聞かれることであるが、世の中には詳細な地図が販売されており、居住者の苗字を地図に割り当てているものがある。どこがどう販売しているものか知らないが。問題はその地図に我が家が載っていないことである。新規造成地ではなく、土地の区画は以前からあったが、しばらくの間空き家同然だったので、地図上では我が家には苗字を割り当ててなく空白になっているのである。

 配達を依頼した場合にはいつも電話がかかってくる。ひどいのになると、どういう家ですか、アパートですか、マンションですか、一戸建てですかといきなり家の素性を詳細に聞いてきてびっくりする。何を知りたいのかと思ってしまう。個人情報保護法が施行されているにそういう個人情報をなぜ聞いてくるのかとその感覚を疑ったりもする。いぶかしがられているという気持ちになりいやな思いもしたこともあった。そのうち、配達する人も大変なのだとわかり、そういう質問に対しては、お隣さんが何々さん、反対側のお隣さんが何々さん、お向かいが何々さんと、周辺の何軒かの苗字を連呼するようになった。それで初めてわかってくれる人も多く面倒なものだ。引越しして何ヶ月もたつのにまだ地図が更新されないのか、いつになったら更新してくれるのか、と思いながらもこれも個人情報なので我慢するしかないと思ったりもする。個人情報保護法が施行されたので、もし今後このような地図は販売されない、あるいは更新されないとなるとずっとこのままで、やはり面倒だと思ったりもする。

 それに拍車をかけて問題なのは、住所の番地では家が同定しにくいということである。つまり、番地の順番には家が並んでいないということである。なぜそうなるのか、さっぱりわからないが、太平洋戦争で空襲を受けていない町なので更地にはならなかったのも原因のひとつかもしれない。こういう場合は、苗字を記載した地図に同時に番地の数字も記載してくれるほうがずっとわかりやすいと思う。なぜ記載されていないのかも不思議に思われる。1970年代にカナダのトロントに住んだことがある。そこでは家自体に番地が記載してある。どの家でも家の外壁に番地を書いたものを貼り付けてある。その数字だけ辿っていけば間違うことなく住所にかいてある家にたどりつけるという次第だ。日本でも法律で義務づけたらどうだろうかと思う。国会議員や地方議員は外国視察がお好きなようであるが、そういうことを勉強することはないのであろうか。日本もIT化にともない生活圏が拡大しているので、そういうことも真剣に考える必要がでてくるのではなかろうか。

 そういうときに、先日うまく家を探し当ててくる配達担当の赤帽さんがいた。地図を見たら私の苗字がなかったので、空白のところがそうではなかろうかと思ってきたら、表札に私の苗字がかいてあり辿りついた、ということである。日本に住む限りこれぐらいの推理を働かせてないと商売にならない、ということであろうか。こういう賢い赤帽さんがいてほっとしたものである。

 もうひとつの受ける質問は電話番号である。新居に引越しするのを機会に、固定電話は契約しないでひかり電話(NTTの光ファイバー網を使ったIP電話)にしようと考えていた。5月が引越しであり、その当時光ファイバーは開通していたが、ひかり電話が使用可能になるのはもうすこし遅くなるということであった。その間はプロバイダー提供のIP電話を使用した。6月下旬になり、無事ひかり電話が開通した。

 ひかり電話では市外局番は固定電話の市外局番と同じものが使えるので安心していた。しかし、近くのお店で物を購入したときや、何か連絡をしてもらうのにひかり電話の番号を伝えると必ずといってよいほど質問が来る。市内局番が○○○とはどうしてですか、この地域では市内局番はだいたい△△△となっているのですが、という質問である。ひかり電話にした時に△△△の市内局番はもらえなかったのですと説明すると納得してもらえる。しかし、毎回その説明をするのが面倒なのである。固定電話を契約しているときに、固定電話を廃止しひかり電話にする、というのであれば、固定電話で使用していた市内局番や4桁の電話番号をそのまま継続してひかり電話でも使用できるが、固定電話を契約せずにひかり電話をつけた場合は固定電話風の市内局番がもらえないのだった。説明すると納得してくれるのでややこしくはないのであるが、商売する人はこういうことまで気にしているのか、と当たり前とはいえ、直接には客相手の商売をしていなかったものとしては感心する面もある。

 そういう話とは反対の話も2つほど経験した。ひかり電話が開通するまでプロバイダーのIP電話を利用していたときのことである。そのIP電話の番号は市外局番に相当する部分が050となっている。文房具の通信販売のサイトで生じたトラブルである。自宅電話番号を入力する画面で050から始まる番号を入力したが拒絶されて注文すら受け付けてくれなかった。今でも固定電話に拘る会社とはどういうものかと思ったが、商売したくないらしい会社なのでそのままにした。ひかり電話にしてから再びそのサイトにアクセスしてみた。自宅電話番号にひかり電話番号を入力した。今度は注文が通った。ひかり電話もIP電話なのになぜ今度はOKなのかという感じを持った。相変わらず変な会社であることは確かである。

 もうひとつのケースは、5月か6月にある携帯会社に住所変更の登録をしたときのことである。電話番号の変更も必要になるので自宅電話番号としてIP電話番号を伝えたら、それダメとのこと。固定電話の番号でなければいけないらしい。自宅にはそのIP電話番号しかないと話してもダメの一本やりで、会社の電話番号とか何かないかということであった。そこで、もうすぐ退職するがその会社の電話番号でもよいかというとなぜかOKになった。固定電話神話の虜になっている携帯会社、ということで、携帯会社としては自立できない会社だなと思った。落ち目の会社になるしかない会社だなと思った。実際その会社の業績は良くない。

 以上、引越ししてのいくつかの話題である。いくつか理解に苦しむことがあり、ささやかなものでもこういう改革が出来ないといずれ取り残されているのであろうなと思った。

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2005年10月10日 (月)

はじめての家庭菜園-格闘記録と初収穫

 今年の5月に今の住居に引越しした。新築するときに多少の土地(区画)を畑としてわずかばかりでも野菜作りができるように確保していた。その区画は旧住居が建っていた場所で、以前に家庭菜園として使用された場所ではなかった。また私自身家庭菜園については過去に経験がなかった(プランタさえも)。

 引越し後は何かと多忙で家庭菜園のことは後回しになっていた。その後7月に早期退職し再就職は考えていなかったので時間が増えてきた。そろそろ、家庭菜園のことをと思っても、ずぶの素人で何から始めたらよいのかさっぱりわからない。まずは家庭菜園の予定地を畑らしくしなければと思って、土地を耕し始めたものの、そもそも住居跡地だし土地も堅く、またこぶし大の石もたくさん埋まっているところであった。7~8月は盛夏であり、暑さの中で土地を耕すことは辛い。気が向いたときぼつぼつと一日最大30分程度ずつ堅い土地に鍬を入れていった。なんとか家庭菜園予定地を耕すことができ、埋もれていた石は片隅に山積みになっていった。

 素人ながらも参考書として2-3冊の本を購入して勉強していたが、何もかもが初めてで、畝作りがどうのこうの、肥料がどうのこうの、と書いてあっても現実感がなく、どうすればよいのか、と躊躇したまま時間が過ぎていった。

 そうこうするうちに秋のシーズンが近づいていて、今年最後のたねまきの時期を逸してしまうことになることがわかってきた。そこであわてて、土づくりを行なうことにした。8月下旬のことであった。土作りも何を植えるかによって違うので、秋にタネマキでずぶの素人でも可能なものということで、ラディッシュ、コマツナ、チンゲンサイ、ホウレンソウを試してみることにした。

 とくにラディッシュについては、簡単にできるだろうという思いのほかに次のことがあった。20歳台のときにカナダのトロントに滞在していたことがあって、そのときに、まわりの人がランチにラディッシュを持ってきて食べていたことを思い出す。日本でラディッシュをそのままサラダとして食べることは今では考えられなくもないが30年近く前には珍しいことであり、ラディッシュをたくさん食べてみたいという気持ちもあった。またその人たちもそう農業には強いとは思えなくてプランター程度で栽培している感じのものであった。そういうことで、ずぶの素人の私にも簡単にできるだろうという思いが強かった。

 まずは土作りから始めることになった。堆肥、肥料などなにがなにかわからないまま、適当に鍬で耕したところにまいた。そして、2週間後に畝をつくり種まきとなった。種まきもそれぞれの種でいろんな撒き方が書いてあり、どれがよいのか、全くわからないので、初心者としてはなるようになれ、という気持ちで行い、次第に適当になっていったがなんとか完了した。収穫時期がずれるように何回かに分けて種まきした。しかし、困ったことにある日、撒いたあとの夕方土砂降りとなった。畝も一時浸水状態となった。どうなるか非常に心配したがなるようにしかならないと思い発芽するのを待った。

 初めての発芽がその数日後にやってきた。なんとか発芽してくれた。しかし、種が流されたものもあって、畝の外側まで種が流されていきそこで発芽したものもあった。かわいそうだけどいずれ踏み潰される運命にあるのだと思った。

 その後順調に生育していった。しかし、害虫対策が必要だという当たり前のことが全く頭になかった。そのうち、当然、葉っぱがやられてきた。にわか勉強で、アオムシ、カブラハバチなどは手で駆除した。あとのアブラムシなどについてはどうしたらよいかわからない。とりあえず、木酢液をまいたり牛乳をまいたりしたが効果があったかどうか。アオムシなどを手で駆除したのが一番効果的であったような気もする。畑が狭いので手で駆除することができるのだという気持ちでいたが、もっと広い農地で、しかも、無農薬をうたい文句で栽培している方はどうされているのか不思議に思いながら駆除していった。

 種まき後1ヶ月がたち、ラディッシュがそろそろ2cmのサイズに近づいてきたものが出てきた。時期尚早ではあったが、始めて一個だけ試しに収穫してみた (写真参考)。その日の夕食では1個のみラディッシュが葉っぱつきで皿にのっていた。株の部分は二つに切ってあった。家内と折半ということらしい。蕪の部分は予定通りのおいしいかった。葉っぱはどうするのか、わからないので試しに生で食べてみた。これも結構いけるではないか。インターネットで検索して調べたところやはりみなさん葉っぱは刻んで食べているようだった。過去我が家ではラディッシュはほとんど購入したことがないので、葉っぱの部分はどうすればよいのかわからなかったのである。 radish_DSC_0030radish_DSC_0020

 以上が最初のラデッッシュ収穫記録である。コマツナ、チンゲンサイ、ホウレンソウもどういう生育の仕方をするのか知らないまま、毎日観察しているが、それぞれに結構違った生育をしている。また、間引きも必要だというので試行錯誤でやっていている。それでよいのかどうか、今後どうなるか、心配のタネは尽きないが、もうしばらく素人の試行錯誤が続きそうだ。

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2005年10月 5日 (水)

「社内運動会 リバイバル」とグローバリズム

 10月3日付の朝日新聞の記事に「社内運動会 リバイバル」という記事があった。以下、一部転載する。

 スポーツの秋を迎え、「経費や手間がかかる」「若手が参加しない」などの理由ですたれる一方だった社内運動会を復活する動きが、一部の企業で出ている。人員整理やパート・派遣社員の増加など、雇用環境の変化で薄れた職場の連帯感を取り戻そうという狙いがあるようだ。

という記事である。超一流企業のひとつの事業部での動きを始め3つの会社の動きを紹介している。いずれも、運動会の復活、運動会の新規開催の話題であり、職場の連帯感を取り戻そうという狙いを強調している。しかし、これの動きは、記事で書いてあるように職場の連帯感を取り戻すことになるのか、文面どおり受け取ることには無理があると感じた。

 この10年以上の間に日本ではグローバリズムが進行し社会構造は変わった。2極化が進み、勝ち組、負け組がでてきている。そして、それとともに、新聞記事の中でも触れているように、運動会のみならず、社内の親睦行事は「すたれる一方」になった。

 私の知っている会社の場合10年前に運動会が行なわれたのが最後ということであった。そして、その後クリスマス・パーティー、ソフトボール大会、なども次々に中止された。新人歓迎パーティもなくなった。かろうじて、ボーリング大会がひそやかに行なわれている状況であるとか。中止の原因は会社の中の雰囲気、若いものの意識が変わってきたからということであり、それはそれで時代の当然の変化として考えていた。しかし、いま考えてみると、グローバリズムがその会社の中でひそかに進展していっていたことに気がついた。そして、グローバリズムが進展と歩調を合わせるようにその会社の福祉関係も衰退していっていた。こういう状況はその会社の特殊な話ではなく一般的なものであろう。そういうときに、「社内運動会 リバイバル」という時代逆行的な会社の動きを紹介した新聞記事である。なぜ日本を代表する超大企業が、一部の事業部だけとはいえ、福祉関係の運動会を復活させたのであろうか。

 グローバリズムの問題点として、資本の論理の必然として社会が2極化し、その2極化がどんどん進展していく、その結果、社会のひずみが出てきて社会の喪失が起こってくる。そして、実際そこで仕事を行なっている人々は非人間的に仕事を強制され楽しくもない仕事に対して奴隷のごとく黙々と働かねばなくなる。そして少しでも文句でも言おうものなら負け組へと簡単に持っていかれ、リストラあるいは早期退職の対象になってしまう。

 そういう資本の論理が透徹しつつある現代において、今回の運動会の復活は、本来のグローバリズムとは相容れなくて、違和感を感ぜざるを得ないのである。そのことをどう考えたらよいだろうか。答えは明らかである。すなわち、このような福祉行事も業務のひとつであろう。本当の意味での福祉行事ではなかろう。トップダウン的な会社隷属型のレクリエーションであり、ただ働きの「業務」が増えるだけであろう。新聞記事を読む限りそういう印象を受ける。もし本当の意味での福祉行事とした場合には時代を逆行させたことになり、資本の論理と会わなくなる。運動会は、グローバリズムの2極化、そして、負け犬に対する放置、という社会状況を解決しようとしているものとは思われない。形の上では、派遣社員・パートも含めて、とは謳っているが。こういう見方に対して実際の参加者からはそうではない、楽しいものであった、という反論があるかもしれない。しかし、資本の論理からみるとそういう意見はそのままストレートには解釈しがたいものである。

 近年、グローバリズムの対抗軸としていくつかの意見が見られる。(1) 企業を超え国家を超えてすべての「他者」が団結することを求める考え方(参考「マルクスだったらこう考える)、(2) マルチチュード(多種多様な差違をもった多数者、自主的な多数派)による生産的な協働を主張する考え方(参考「<帝国> 」及びレビュー)、(3) かけがえのない自己を大切にし多様性を肯定し「内的成長」をもたらすコミュニティの再創造の考え方(参考「生きる意味 )、などが思い浮かぶ。しかし、まだ、それらが政治行動、企業活動、地域社会・コミュニティ活動としては十分には成熟していないと思われる。グローバリズムによって出来た新しい「帝国」には対抗できていない。グローバリズムは社会の崩壊をもたらしつつあることは確かであり、それに対抗するような運動が今後出てきてほしいものだ。

 団塊の世代の定年退職が目前に迫っている。若いときは理想に燃えて一部かもしれないが学生運動もした世代である。定年退職を前にして経産省主導で団塊の世代の技術をデータベースに入力されるようなシステムをつくるというあつかましい動きがあり、団塊の世代は利用されるところは利用され、はいポイと捨てられつつある。しかし、こうした社会の変革の中で、人生の最終章・第二の人生としてもうひと仕事やることがあるのではなかろうか。

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2005年10月 2日 (日)

秘太刀 馬の骨(最終回)の感想

 NHKTV「秘太刀 馬の骨」6回シリーズをみた。こうやって時代劇を熱を入れて見るのもNHKの「蝉しぐれ」や映画の「たそがれ清兵衛」以来のことである。「蝉しぐれ」についてもわくわくしてみていた。主役の主人公によくもぴったりした俳優をあてたものだと感心していた。そして、今回もその内野聖陽が「秘太刀 馬の骨」で主役なので期待も高まった。

 5回までは秘太刀の遣い手探しのちゃんばらでそれなりに楽しんできた。最終回にどう話は展開していくかわからないままでいた。途中で原作も購入したが放映前に家内の方から遣い手をばらすと離婚だと宣言されてしまい封印した。

 最終回の日、そのあらすじが新聞にででていたがなかなか筋をおっかけてみるのがしんどいと思っていた。そして、45分弱のなかで十分話がつくものであろかと心配しながら見始めた・・・・・・・それなりに楽しみながらみたが、ついに秘太刀の遣い手が登場し難敵の用心棒に対して馬の骨を遣う。

 そこまでは良かった。しかしそのあとが脚本としてどうもいただけなかった。銀次郎は計6名と申しあわせ試合を行なった。そのためにかなり努力している。裏情報も集めそれを突きつけて嫌がる相手とも試合をするように誘い出している。自らもいくつもの痛手を受けている。木刀での試合で間違ったら死ぬかもしれないところまでやっている(原作はどうなっているか知らないが)。

 そういう経緯のあとで秘太刀の遣い手を見た。そして、面の割れた遣い手と対面し睨みあう。そこまでやっていざ対決か、というところになったとき、対決はなしで終わってしまう。そのあとこの番組を消化不良に陥いらせたあほらしいシーンとなる。冷や水を浴びせられた感じの言葉が続く。銀次郎の言葉として引用すると「幻だ」「俺たちは幻をみた」「秘太刀を受け継いだものはおらぬ」「闇に帰ったのだ、馬の骨は」「二度と現れぬ」と、畳み込んでしまうようなセリフが続きメインの話は終了する。どこか流れとして違和感がある。本当に消化不良である。もし有料サイトであれば金返せといいたくもなろう(NHKは受信料の対価としてのフィードバックをとらないのがそもそもおかしい)。

 そこで、原本で、遣い手の現れる箇所のみ読んで見た。原本では、遣い手の面は最後まで割れなかった。割れないときに銀次郎のように「あれは幻だ」というのであればわかりやすい。面がわれたあとで「あれは幻だ」というセリフのばかばかしさ。原本ではそもそも銀次郎は遣い手が出現する場面にはいない。そのほうが、遣い手のことを半次郎から聞いたとしても「あれは幻だ」といってもおかしくはない。しかし原本では銀次郎は遣い手の現れたことすらしらない。半次郎が現れたことを握りつぶしてしまったとしている。このほうが本当の意味で 「闇に帰ったのだ、馬の骨は」という言葉がふさわしい。原本では「金返せ」とはならない。一般に映画・TVは原本よりは劣るということは言い古されたことばがあるが、今回改めてそれを感じた。

 そして、蛇足ながら、6回目の最後がやはり蛇足である。なくても良いか、あってもごく短くするべきであろう。無内容の蛇足が10-15分間続くのは、消化不良に陥っているのをさらにむかつかせることになってしまった。こういう蛇足は、「たそがれ清兵衛」のときも感じた。岸恵子の回顧シーンがそれである。脚色した人は違うものの映像化するどうしてこうも蛇足がつくのであろうか。そもそも藤沢周平の小説には蛇足がないから好きなのである。蛇足をつければ台無しになってしまう。

 とはいうものの今回の「秘太刀 馬の骨」も十分楽しませてもらったことはありがたい。今後も藤沢周平ものを制作してください。そして、いま、わが身は定年まであと数年あったが早期退職しいち早く老後の心境にあるので「三屋清左衛門残日録」をもう一度みたい。DVDでの販売はされているが再放送を期待している。

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