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2005年9月の5件の記事

2005年9月26日 (月)

新居のグリーンカーテン化とサル出没情報

 今年3月新居が完成し、5月連休に引越してきた。その経緯については「とんぼナックの新居建築の記」に記載した。

 新居の建築で大切にしたのは、高断熱・高気密の家ということであった。地元の工務店と相談していたとき、「次世代省エネ基準」をクリアすることをお願いしたのに対してどこの工務店も相手にしてくれなかった。「公庫基準」はクリアするのがせいぜいで、その間の等級である「新省エネ基準」すら満たしてくれなかった。大手ハウスメーカーの中でもせいぜい新省エネ基準で次世代省エネ基準は無理だというところもあった。結果的に、次世代省エネ基準を満たしていないところはご遠慮願うことになったが、こうして新築した次世代省エネ基準の家がこの夏快適であったかどうか、が一番心配なところであった。今年の夏は暑い夏ではあったが、最高気温も京都にしては36℃台どまりで、覚悟していた38℃までは至らなかった。家の中も高断熱・高気密であるせいか室内温度はさほど変化がなく、外気温が36℃台であっても壁焼けすることもなく、したがって、夕方のある我慢できない暑苦しさ(室内での話)を経験することもなく彼岸を迎えた。そしてクーラーをつけることほとんどなかった(寝室は別である)。引越しする前にすんでいた家では「とんぼナックの新居建築の記」に記載したように毎年暑さでうだっていたのとは大違いであった。

これですべてが万々歳であったかというと、すこし心配がある。外気温がもう一段高かった場合は部屋によっては暑苦しさを感じていたと思われる。どういうことかというと、敷地内には何本もの植木が植わっている。これは30年以上前から植わっているもので、モクレンにいたっては相当の高木になってきていた。そういう植木が近くにある部屋と、近くに植木がない部屋とで凌ぎやすさがどうやら違いそうなのである。近くに植木がない部屋では外気温が38℃にもなるとそうとか暑苦しくなりそうだ。

 今年の夏もニュースその他で、都会のヒートアイランド現象の対策としてグリーンのカーテン化の試みが報道されていた。グリーンのカーテンとはつる性植物のカーテンのことらしい。近所を見渡すとそういうカーテンを儲けている家もあった。しかし、そういうカーテンについては来年また考えるとして、近くに植木がない部屋については、一種のグリーンのカーテン化として早く植樹をしなければ、ということになった。彼岸過ぎるまでは植樹には適さないし、園芸店に出向いてもめぼしいものはおいていない。したがって、彼岸まで待って植木を購入した。造園家であったらどこに何を植えてということをいろいろ考えるのであろうが、園芸店においてあるもので、適当に、本当に適当に数本選んだ。それが、ハナミズキ、ヨシノザクラ、プルーンとビックリグミであった。なんという組み合わせか、まあそれは言わないことにした。このように第一弾の手当ては終了した。第二弾はもともと植えたかったウメの木の物色して植えようと思っている。今回は入手出来なかったのだった。

 こうして植木もそろった。敷地内に少しではあるが設けていた家庭菜園も9月のはじめから4種類のタネをまき本葉がそろそろ出てきている。生まれてこの年(57歳近く)になるまで全く菜園をしたことはない全くの「若葉マーク」である。どうなることか。全くの我流で、ときどき本とつきあわせてやっているが、無事育ってくれることかどうか。失敗談でもあればまたブログのネタになるのであろう。

 そういう家庭菜園(以下、畑と書く)で双葉、本葉がでてくるのを楽しみにしているのであるが、この1ヶ月の間、2回程度、畑が荒らされているのである。最初の時はネコが畑を歩いたのかなというような足跡であった。しかし、先日の分は違った。足跡ははっきりとはわからないのであるが、畑の盛り土がところどころ崩されている。発芽して双葉が大きくなったところはごっそりと崩されていた。ネコにしてはいたずらがひどい感じであった。気持ちが悪いが我慢してそのままにしていた。

 数日後、近くの理髪店できいた話。最近、朝6時ごろサルが10-20匹出没したという話であった。子を抱いたサルもいたとか。場所的に比叡山に近いことからサルの出没はありうることと思っていた。時期的にもサルの出没時期と畑が荒らされていた時間が近いのである。さては我が家にもサルが出没したのかのだろうか。引越してくるまで知らなかったが、こういうことは年に数回はあるらしい。我が家より500メートルはなれた有名なお寺のあたりはしょっちゅう出没しているそうで、そのあたりの畑ではサルとの格闘しているそうである。京都の街中ではあるが、とうとうサルの話が現実的になってきた。家内からは畑あらしの犯人をみつけるようにとの命令が出いている。ロボットで、侵入者がいたら通知してくれるというものが販売されたか、販売されるらしい。そういうものが今あればと思ってしまう。

 そういう騒ぎはあるものの「若葉マーク」の私としては、畑の苗が育ってくれるのをただただ祈っている。そして、植樹した木が大きくなり、サクラ・ハナミズキが咲き、グミに実がつくことを。

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2005年9月20日 (火)

住所・氏名をしゃべるインコのチロたん

 この殺伐とした世の中で、清涼飲料水的なニュースを今やっていましたので早速報告します。住所・氏名をしゃべる「チロたん」です。

 ある人のお宅にインコが入ってきたとか。インコがしゃべっている鳴き声から「モリオカシ」が聞こえてきた。そのお宅の人がもっと聞いてやろうとしてきいていたら「コンヤチョウ」とこえた。そして、最後は「トダ チロタン」と聞こえたそうである(本当はもっと詳細な住所をインコはしゃべったらしいが、それはニュースでは公開されなかった)。それをもとに、1キロはなれた持ち主に無事帰ったそうである。インコの飼い主もあきらめていたとか。飼い主によると、ここ一年間は家では住所をしゃべっていないそうである。それが、迷子になったら突然しゃべったとか。飼い主はそれに驚いていていた。また、インコが戻ってきたとき「チロたん」と呼んだらほんとうにうれしそうだったとか。

  約25年以上前にカナダ・トロントに住んでいたことがある。そのときにもいなくなったネコだったかイヌだったか忘れたが、聞いたこともないような距離をひとりでひたすら走って、1週間ぐらいして飼い主のところまで帰ったきた、ということが新聞などで話題になったものだった。

 動物でさえ本能的に飼い主を覚えている。家族愛がある。また、象も仲間を助けるし、集団で子育てをする動物もいる。ほほえましいといえば当然ではあろが、今の社会を見ていて、人とのギャップの大きさに唖然とざるをえない。

 この人の世の中、リストラだとか、あるいは(定年、早期退職制といえば聞こえましだか、その実は)クビキリ、そして自殺、など、単語を拾っただけでも殺伐としている。そして、困ったことにそれが当然のごとく何も疑問視されずに、世の中が「粛々と」進行している。そして、会社の世界だけではなく、刺客(シカクだかシキャクだかわからないが)とかいう言葉が政治の世界で飛び交いこれがまともなお国の状況かと思ってしまう。会社にしろ、政治の世界にしろ、戦国時代の復活である。犯罪でなければ何でもあり、という風潮になっている。そして、そういうことができる人こそ「真の」リーダーだという意見には唖然とする。今の日本では、リーダーも含め本能までも蝕まれている。

 この殺伐とした政治・社会の世相のなかで、本当にほほえましいチロたんでした。

 チロたんがしゃべった圧巻の言葉は「チロたんはオリコウさん」でした。

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2005年9月 5日 (月)

ハリケーン・カトリーナと大統領選でのルイジアナ州

 ハリケーン・カトリーナの被害は、初期の私の想像(ハリケーン・カトリーナと伊勢湾台風)を超えるものになってきた。そして、略奪とかいろいろあって、この国はどうなったんだろう、と思う。今日の昼前のニュースでは、略奪者を4人射殺したそうである。まるで、イラクを米国国内で一部再現しているような感がする。

 また、今日の朝の番組で、みのもんた氏が、ニューオリンズから脱出出来た米国在住の日本人女性と話していた。「報道で見ていると、まるで発展途上国のような感じがしますが」と表現が失礼なのを気にしながら敢えて尋ねたのに対して、女性は「私もそう思っていますよ。アメリカ人もみんなそう言っていますよ」とあっさりと返事していた。

 ニューオリンズのあるルイジアナ州は、昨年の大統領選で、どちらを支持していたか検索してみたところ、ブッシュ支持だった。ミシシッピ州もそうだった。どういう気持ちでブッシュを支持したのあろうか。そして、今それを満足しているのであろうか。

 米国式グローバリズムがはびこっていて、あたかもそれが善のごとくいう人がいる。しかし、グローバリズムの結末は、それが効率化を求めていき、社会を二極化していくものだそうだ。あの米国内部でも二極化している、とカハリケーン・カトリーナが襲来する前から言われていることである。貧しいものはますます貧しく。そして、貧しいニューオリンズはインフラ整備も遅れ、今度の災害も起こったのであろう。

 そして、米国式グローバリズムを「構造改革」という名前で継承する政府、また、痛みを分かち合えと、負け組みを切り捨てるような演説をする首相。そういう国の内部もますます二極化しているのではなかろうか。全産業の経常利益は過去最高らしい。しかし、それは平均値であって、また、一部はリストラ、早期退職の結果であって、二極化はさらに進行しているのではなかろうか。

 日本も、国民が、うわべにごまかされずに、重要な決断をしなければいけない時期である。ルイジアナ州で起こったことを参考にしながら。

 蛇足:カトリーナより大型のナービー(台風14号)が現在西日本を覗っている。

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考文献:  (1) 希望格差社会, (2) マルクスだったらこう考える, (3) 「共生経済」が始まる―競争原理を超えて

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2005年9月 3日 (土)

新居での玉虫(ヤマトタマムシ)

 今の新居に引越ししたのが今年の5月であった。新居には、少しばかりではあるが、園芸ができる場所(畑?)を確保していた。引越し後、家の中の整理でばたばたしているときに、今度は、長年勤めていた会社を7月に早期退職してしまった。次の予定は全く無いまま、早い目の「定年」後の生活に入った。しかし、この間、畑のことは放ったらかしで、雑草も生えるままになっていた。野菜類は春に種まきなどをするものが多く、夏はほとんどないことを言い訳にして。そして、団塊世代の人間のいち早い定年であるが、退職後・退職後の晴耕雨読とは名ばかりでさぼってばかりしている状態であった。

 9月が近づいてきて、そろそろ秋口の種まきするシーズンであるということになって、まだ、暑い中、一念発起して、手付かずにしていた畑を整備して、種まきができるようにと準備していた。新居では、いくつもの動物が飛来してきて、季節の折々に、いろんな楽しみを与えてくれている。いろんな草木が生えていて、家内もそれぞれの名前の同定に毎日必死に図鑑とにらめっことしている。そして、いままで、騒々しかったセミも何とか静かになり、秋の虫がそろそろ合唱を開始したような時期となってきた。

 畑仕事もひと段落した今日、今日の作業の状況を家内と確認するつもりでぶらぶらしていたときに、何かの昆虫の飛来があった。近くの駐車してあった黒いワゴン車に一旦止まった。大きめの昆虫であった。あまり昆虫一般に造詣がないが、カナブンのような感じもするが、カナブンよりは大きく、そして、カナブンよりスマートで、また、色が綺麗であった。すぐにワゴン車を飛び立って、しばらくその場のへんを何周も飛び回った。飛んだ時の色も綺麗であった。その時、家内が「タマムシだ」と叫んだ。近くで、ワゴン車の持ち主だろうか近くで建築工事をしていた人もちょうど昼休みで休んでいたが、我々の注目物に目を奪われていた。
 何とかして捕まえたいとは思ったものの、虫の好きなようにしていた。そのうち、どこかに飛んでいってしまった。 すぐ家に入りインターネットで検索してみた。「ヤマトタマムシ」に違いないと思った。体長もちょうど3-4cmであった。参考サイトはhttp://www.tbs.co.jp/seibutsu/zukan/insect/htmls/insect_29.htmlである。そのサイトの記載を引用させてもらうと、「きらびやかな色合いは、鳥をおびえさせる効果があると言われる」というくだりがあった。まさに、トリをおびえさせるほどの豪快な舞であった。
 住んでいるところは、京都市内である。その街中で、タマムシが見られようとは。かつて、法隆寺の玉虫厨子のわずかに残った玉虫の綺麗さに感動したもので、厨子全体が玉虫に覆われているをの見たらどんな感じになるだろう、想像もできない、と思ったものだった。その玉虫の宙の舞を拝見させていただいて、朝からの畑仕事が報われたような感じになった。

 そして今日は、畑には、以前ブログにかいたアマガエル(どうやら「ニホンアマガエル」だったようだ)のほかに、トノサマガエルも訪問してくれていた。

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2005年9月 1日 (木)

ハリケーン・カトリーナと伊勢湾台風

 米国で超大型ハリケーンの被害が相当大きなものになると予想されている。ブッシュ大統領も 、米国史上最大の自然災害であると宣言したし、また、回復には何年もかかると述べている。今日(9月1日)のニュースでは、ニューオリンズの市長が被害は死者数千人になると述べている。

 この被害数で思い出したのは伊勢湾台風である。死者・行方不明者5000人以上の台風であった。日本で観測史上最大のものであった。幸い私は中国地方(広島6区)のため、その被害はなかったのであるが、遠くはなれた町でも伊勢湾台風の余波はきていて、学校が休校になり、小学生の私は風の中を帰宅していったことを今でも鮮明に覚えている。

 伊勢湾台風の被害は、災害に対する認識を新たにし、災害対策基本法制定のきっかけにもなった。そうして、防波堤ばかりで、日本から海岸がなくなる、という状況へ突入していった。自然破壊といえば自然破壊であるが、防災という観点からは必須のものであったろう。今回の米国ハリケーンの被災地も、伊勢湾台風で危害を受けた場所と同じように低地、海抜ゼロメータ遅滞だと聞いている。環境は似ていると感じた。

 こうして日本での自然災害の教訓を思い出してみると、米国はどうであったのであろうか。自分の国に経済的な利益をもたらすもの以外のことは拒絶して来たのではなかろうか。気候変動枠組条約の京都議定書についても真っ先に反対しているのは有名である。また、大豆などの遺伝子組み換え生物について心配されている。そのために、生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書がまとめられているが、それに参加していない有名な国といえば米国である。北朝鮮でも締結しているというのに。

 自分の国に利益をもたらさないものは反対であるという国策をバックアップしているのがITを背景にした米国流のグローバリズムであり、それが世界のスタンダードだと称している。しかし、その結果、経済的メリットのみがすべてを優先する、善であるという考えを押し付け、米国国内にもまた世界中の国で二極化が進んでいる。そして、その結果、社会が歪んできている。

 今回のハリケーンの被害についても、大統領は、被害者の自己犠牲論で突っぱねるのであろうか。かわいそうな表現ではあるが、被害にあった人がバカなのだというロジックで。そして、日本では伊勢湾台風をきっかけに必要以上ともいえるような社会整備を実施してきたのだが、米国はどう動くであろうか。米国流グローバリズムの観点からすれば、とりあえずの「対策」のみして本的な政策へと果たして移るであろうか。今回の災害が米国の試金石になってきたようだ。

 日本は伊勢湾台風をきっかけに整備をしてきた。しかし、今、伊勢湾台風が来たとして、過去と同様の対策を実施したかどうか。今の政府のやり方から見てはなはだ疑問である。阪神震災以降、どれだけ対策が講じられたか、をみるとはなはだ心もとない。

 すべてがグローバリズムの波に飲まれ「効率化」という謳い文句で世の中が動いていて、「金儲けがすべてだ」という風潮を植えつけるような「若者」がでてきているこの時期に、自然災害対策まで「効率化」の波に飲まれてしまいそうなのが残念である。

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